「朝日新聞の戦争責任」(太田出版)。著者名は「安田将三 石橋孝太郎」となっているけれど、これはペンネームだろう。肩書きは「現役記者」となっているだけである。この本は「はじめに」にも書かれているし、「あとがきにかえて」の二人の著者による対談でも語られているが、当初1994年にリヨン社から出版されたが、一度絶版になり、翌年、敗戦50周年に太田出版から再び刊行されたものである。どうやらその理由は朝日新聞から著作権法を楯に絶版と謝罪広告、賠償金を要求されたということのようである。再版に関しては著作権について配慮したという。
当時の新聞はすべて軍の検閲統制下にあったのだから、朝日といえどもその例外ではないわけだけれども、だからといって「公器たるべきジャーナリズム」がみずから鼓舞する原動機となって美辞麗句を振り回してその先導の先頭に立ったことを真摯に受け取るべきである、というスタンスに立っている。これはまさに事実であって、われわれはこの歴史をそれこそ正面から見据えて確認していかなければならないなぁと思う。
こうした書籍が発刊され、そんな騒ぎとなったことををなにゆえ知らずにいたのか、という点にむしろ自分自身疑問が残る。あたかも騙されていたかの如くである。
それにしても冷静になって考えれば、こんな記事あり得るのかと思うようなものも中にはふくまれている。昭和19年8月11日朝刊としてある記事にこんなものが。
髑髏(しゃれこうべ)を横に置いて手紙を書いている白人女性の写真が掲載されている。これは「ライフ」の5月号に掲載された写真だとしてあり、南海の孤島に玉砕したわが勇士の骨を米国兵が記念品としてこの女性に送ってきたものに対してお礼の手紙を書いているところだという説明であり、末尾には[写真はベルリン電送]としてある。今だったらそんな奴いるのかと思うが、この記事の見出しは「屠りされこの米鬼 仇討たでおくべき」である。白人はこんな感覚だが、日本人たる我ら到底正視するに忍びざるものがある、としている。鬼畜であったわけだから、まさに誰も疑問を持たないわけだろうか。
実は今でもこれに近い記事はあり得るのだ、と思う。
東京大空襲は3月10日未明である。しかし、10日は陸軍記念日であったことはよく知られている。この日「帝都に喨々(りょうりょう)たる軍楽の音が沸き起こった。・・(中略)・・陸軍記念日を期した行われた陸軍軍楽隊必勝演奏大行進<本社協力>の整然たる隊列だ」という記事があり、そのパレードの写真が写っている。これは知らなかった。なんだか津波の被災地に向かってかねて計画していたからといって出かけるパック旅行の如き感性を感じるぞ。(苦情が出そうな気配であるな)。
18日にはどういうところからこれが発案されたのか知らないが、「陛下が被災地をご巡幸」である。19日付朝刊に写真付きで紹介されている。この記事を読んだら、朝日新聞のことを「サヨ」だとか呼んではいられませんぜ。