ほぼ足りてまだ欲 その先

「ほぼ足りてまだ欲」がはてなダイヤリーの廃止にともないこちらに移りました。

東京都写真美術館

 そぼ降る雨の中、昨日はまたまた恵比寿の東京都写真美術館に出かける。♬あめがふぅってるぅ〜 たそがれのまちぃ〜
 地下鉄に乗る前に昼飯をどうにかしたいと思えどもなかなか適当なところを思いつかず、ついに駅前の蕎麦屋に入る。なるほど、駅前の蕎麦やなり。ミニ天丼付きもりそば。ピーマンと茄子とエビ一本の天ぷら。天つゆが甘くて参る。ここは一回で良い。
 今日見ておこうと思ったのは「プレス・カメラマン・ストーリー」と「世界報道写真展2009」である。プレス・カメラマン・ストーリーがそろそろ最終日なんじゃないかという曖昧な記憶で出かけたのだけれど、今度の日曜日の7月5日までだった。「世界報道写真展」は8月9日まで。両方とも写真集が発刊されているのだけれど、値段もさることながら、もう私は所蔵書籍を増やすわけにはいかない状況に追い込まれている。

「プレス・カメラマン・ストーリー」

 65歳未満でなんの割引条件を持っていない私は両方を見るのに千円の入場料がかかる。5人の朝日新聞のカメラマンの作品を通して見る1930年代からベトナム戦争に至る日々が蘇る。
 冒頭は影山光洋で、東京高等工芸学校の卒業。この学校は戦争中に東京工業専門学校に名前が改まり、これが千葉大学工芸学部になっていく。大東元も吉岡専造も影山と同じだが、秋元啓一は名前が変わった東京工業専門学校の卒業。当時の朝日新聞の写真部にはこの学校の出身者が多かったのだろうか。船山克は慶応大学の出身で、彼はまだ存命。5月には会場に姿を見せたそうだ。
 影山が三男の賀彦(よしひこ)の1946.2.13の誕生から1951.4.9にわずか5歳2ヶ月弱で死ぬまでの記録を撮り続けた「芋っ子ヨッチャンの一生」に目を見張る。昔のアルバムというのは台紙がなんで黒い紙だったのだろう。我が両親が残してくれたアルバムも確かに当時のものは皆台紙が黒い。そこにさすがにカメラマンらしく当時としては大きな判の写真が貼ってあり、そこに影山が小さな字で縦書きにどんな最後だったのかを綴っている。ヨッチャンは私より1歳半年上だった(学年だったら2年上だったはず)ので、その意味でも、そして私も小学校低学年の頃にストレプトマイシンという薬の名前と縁がなかった訳ではないので、人ごとのような気がしない。
 それにしてもカメラマンだからだろうけれど、ヨッチャンの臨終の席でも影山はシャッターを押した。その時にヨッチャンにかけてあった掛け布団は朝日の社旗を作り替えたもののように見える。時代を彷彿とさせる。今は絶版になっているという岩波書店の「日本の写真家 全40巻」の第14巻が影山である。「芋っ子ヨッチャンの一生」は新潮社から1995年に出版されているが既にこれまた絶版である。
 秋元啓一は開高健に同行してベトナム戦争の取材に行っている。「銃殺ーある高校生の死」という一連の写真は公開銃殺された一青年の当日を撮ったもので、一連を見ると非常に生々しい。その後開高とのコンビで「フィッシュオン」の写真も担当している。惜しくも1979年に40代で他界。
 当時のカメラマンがパシャパシャと撮っていたカメラ、米国製のSpeed Graphicが展示されていた。日比谷公会堂の「浅沼稲次郎刺殺」を撮影した長尾靖があの写真を撮影したのもこのカメラだという。そして長尾靖のポートレートと共に、長尾が受賞したピューリッツァー賞の賞状も展示されていた。

世界報道写真展2009」

 さすがに昨年はオリンピック・イヤーだったからそれがらみがいくつかあってホッとする。というのも報道写真というのは常に事件、事故、戦争というものがつきものでそんな題材ばかりが続くし、時代の世相を映し出そうとするとどうしても楽しくハッピーな話題よりも重たくて考えさせられて頭を悩まさなくてはならない題材ばかりだからねぇ。Brenda Ann Kennelly(米国)のsingle mothersや、山口元の自閉症の子どもを抱える母親の苦悩を取り上げた写真は見れば見るほど目が離せなくなる。Alexey Bushov(ロシア)がナミビアで撮った、追いかけられてついにヒョウに右後ろ足に噛み付かれた空中で「あっ!」という表情で半ば口を開け、よだれを口から飛ばしているspringbokの姿にも私は捉えられてしまった。時間が見事に切り取られていて言葉を失う。スウェーデンのJohan Bavmanの作品はタンザニアのアルピーノを撮ったものでなんと彼らはアルピーノであるが故に命を狙われる状況に置かれてきたのだそうで今は保護施設で暮らすという。初めて聞いた話だった。最後は2008-2009シーズンを最後に閉場したNYCのちいさなオペラ小屋、the Amato Opera Theater(こちら)の話だ。


 帰宅途上久しぶりにアメ横を通りかかり、これまで愛用、多用してきたUNIQLOのデイパックに換えてもう少し多機能な20Lデイパックを入手。それではとUNIQLOにも寄って下着を調達。