ほぼ足りてまだ欲 その先

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ドミニカ移民

 ドミニカ移民の国家賠償訴訟は判決が出るまでに5年という年月を費やした挙げ句の果てに、国に問題はあるが、時間が過ぎているので請求はできないという判決におわった。しかし、政府は小泉首相の深謝と原告団約170人を含む移住者1319人に対し、「特別一時金」を(1)ドミニカに住む原告に200万円(2)日本に戻った原告に130万円(3)ドミニカに住み原告でない人に120万円(4)その他の人に50万円支払う方針だそうだ。
 この訴訟については超党派議員連盟があって、その急先鋒はなんと前厚生労働大臣自民党尾辻秀久氏である。彼は2004年3月10日の参議院予算委員会外務大臣川口順子氏、官房領事移住部長鹿取克章氏に対して舌鋒鋭く追求している。挙げ句の果てにJICAの理事長(緒方貞子)がこれまで二回呼び出したにもかかわらずこれまで国会に出席しなかったことに苦言を呈しているが、とてもこの人が坂口厚労大臣のあとに就任し、なんだか自信のなさそうな答弁をしていた人とはとても思えない勢いであった。しかも、その時の予算委員長である片山虎之助議員はあたかも野党選出委員長のように、尾辻氏の通告済み質問に対して答えられない政府参考人を激しく叱責している。
 ドミニカ移民が大失敗に終わったという話が国会で論議されていたのは遥か昔、40年ほども昔の話である。にもかかわらず彼らはそのまま放置され続けてここまで来た。現地に派遣された全権大使の彼らの見下げた態度に怒り、嘆願書まで本国に出していたにもかかわらず、である。
 毎年、海外日系人大会を開き、その代表を皇室に面会させてきたとしても、こうした根本的な問題の解決に役に立たなかった本国官僚の責任は大きい。特にJICAの意味合いをはっきりさせる非常に重要なポイントだったかも知れないと思う。社会保険庁の問題と同じような問題を指摘するチャンスではないかという気がする。
当時の外務省のこんな木で鼻を括った対応が侘びしい。

1960.02.06 衆 内閣委員会
外務事務官(移住局長)高木廣一政府委員:ドミニカへの移民が始まったのは昭和31年からで、34年までに約300世帯。1400明余りが移住したとされている。現地のトラブルの原因は昭和34年6月にキューバからドミニカへ侵入部隊が入った。ドミニカのトルヒーヨ大統領一派によるベネズエラ大統領暗殺未遂事件が昭和35年8月に発生し、ドミニカは米国からうとまれる。灌漑その他がはかどらない。リゾート客が激減して野菜の需要が減って売れない。農耕地を増やすことができなかった。ドミニカ政府の生活補給金、月60-120ドルが出なくなった。カリブ海地域の国際情勢はわれわれとしては予見できなかった。ある意味不可抗力であった。
過剰入植にも問題はあった。南米転住、あるいは内地への帰国に国援法で援助する。
従来帰国したいと言っておられた人も、定着することに変わる申し出が出てきつつあるというような状態で大使からの電報では、一同と十分懇談して、誤解を解いて説得をした。
戦後の移住に関する限り、われわれは、そういう意味において、今のような??今度のドミニカ移住につきましては、われわれは戦前のようにほうりっぱなしにするというようなことはとうていできないわけでございますから、思い切って現在の政策をとったわけでございます。
ドミニカの場合は、国有地において営農するという条件だから、国有地から勝手に出ていくというような問題は、全然これは先方も考えておりませんので、できません。ドミニカでは八年ないし十年で地権がもらえるということになっていたのであり、契約募集要項と違うということは言えない

それに対して質問者の社会党西村関一委員は「実際に入植をした諸君が違うという見解を持っておる」と反論している。
1960年10月1日、在ドミニカ国駐在特命全権大使小長谷純正は

「私は天皇の親任に依って日本国を代表した特命全権大使で、天皇の御名代である」
「本国への陳情其の他は大使を経由しなければ受理されない」
「移住者が本国政府に対し、正当な陳情をする場合でも、それがドミニカ国政府に感知された場合不利益を蒙ることになる」
「皆さんは芸妓に例えるならば一人前の芸妓でなく半玉である」

と時代錯誤の発言して物議を醸している。
 当時の外務大臣は現在の文科大臣である小坂憲次の父、善太郎であり、「事志と違って帰ってこられた方々に対しては、できるだけあたたかくこれをお迎えいたしまして、将来の計画を立てるにわれわれとしてもできるだけ協力したいという前向きの姿勢で、この問題を扱おうということで、国援法の適用をいたし、また、郷里へ帰っていただき、郷里の方でも、それぞれの出身県と連絡をいたしまして、こういう方々の御希望に沿うような努力をしていただくということにいたしておるのであります」と発言している。
 しかし、西村議員は「大きな原因は調査の不備」であると既に指摘しており、外務省が指導しているところの現地の海協連の支部がやはり調査して、技術者が行っているはずにもかかわらず、これだけ実状と食い違っているのは問題であると指摘している。
 ところが移住局長は戦前の一旦移住したら帰ってこられなかった、それこそ「棄民」であったのと比べたら違うんだ、なぞと平気で的はずれな答弁をしたりしている。そのくせ、国農地に就農したんだから勝手に離脱するのは相手国に迷惑をかけるといわんばかりである。一体何時になったら自分の土地になるというのだ、という移民の訴えに対しても「8-10年経ったら地権をもらえることが分かっているんだから、文句をいうのはあたってないだろう、といわんばかりである。