ほぼ足りてまだ欲 その先

「ほぼ足りてまだ欲」がはてなダイヤリーの廃止にともないこちらに移りました。

4人目の犠牲者

 ペンシルバニア州ウェスト・ニッケル・マインズアーミッシュの、ガレージ2台分程度の、ひと教室しかない小さな小さな小学校(実はアーミッシュの基本的義務教育学校で、この種の学校がアーミッシュ・セツルメントには150以上あると云われている。)に32歳のミルクタンクローリーの運転手、チャールズ・カーク・ロバーツIVが散弾銃、オートマティック拳銃をはじめ様々な武器の類を持ち込み、大人と男子児童を外に出した後、女子児童と先生の手伝いの13歳の女性を黒板の前に並べ、足に針金とプラスティック製の錠をかけ、至近距離から銃を発射。三人はその場で即死。ロバーツは自殺。8人の女子が病院に運ばれたが、その後一人が死亡。残りも重篤で、次の死者が出ることが予想される。ロバーツは10歳に満たない子どもが3人あり、アーミッシュの小学校の近くに住んでいることが分かっており、遺書と思われる手紙には彼の妻に宛てて、20年前の復讐だとしているということだが、それが何を意味しているのかはどのメディアも明らかにしていない。ロバーツを知る人の話では「物静かな男で、ちゃんと教会に行っていた」という。
ところで、米国ではこの一週間以内に既に3件の学校での発砲事件が発生していると云われている。この一ヶ月の間で見ると、あのコロンバインと同じコロラド州のBaileyでは浮浪者が高校に入っていき、生徒を撃ち殺して自殺。ウィスコンシン州では三人の生徒が学校に爆弾を仕掛け、その二週間後には地方の学校で生徒が銃で校長を撃ち殺す。マイケル・ムーアではないが、ここまで来て、どうして米国市民はこの危険きわまりない銃の規制に動こうとしないのか。それほど米国の政治家は武器産業の恩恵を受けているというのか。ま、そうなんだろう。こうした感覚がこの国の個性なのか。
 ロバーツとアーミッシュには繋がりはないと報じられている。
 日本ではほとんどこのアーミッシュについて知られていないのは無理もない話とは思えるが、どうやら英国でもあまり知られていない様子でBBCは「アーミッシュとは何か」という特集を掲載している。
 アーミッシュについて書かれている本は日本ではどれほど出ているのかは知らないが、私の手元には1995年に発行された玉川大学の先生、池田智氏が書かれた「アーミッシュの人びと」(サイマル出版会)がある。「アーミッシュに生まれてよかった」の翻訳者である。アーミッシュは敬虔なルター派プロテスタントから派生している。その原点は16世紀のスイスのチューリッヒでの国教会反対派にあり、幼児洗礼は意味がないとして改めて洗礼を受けるところから「再洗礼派」と呼ばれたグループが、国家の迫害を受け続ける。*1
 再洗礼派に対する迫害はオランダ、北ドイツでも激しくなる。元はカトリックの司祭であったメノ・サイモンズが出て、暴力を肯定して改めることをしない「再洗礼派」からわかれ「メノナイト」派を構成する。この中でも追放を厳しく追及する派と、穏やかな派にわかれる。1630年頃に「ドルドレヒトの信仰告白」でメノナイト派が統一見解を出す。
 しかし、1660年にその統一見解に同意しない人物が出た。かれが「アーミッシュ」の宗祖、ヤーコブ・アマンである。彼ら以外のメノナイト派は主流文化にとけ込んでいくが、アーミッシュは「謙虚さ」「簡素さ」とを重んじ、男性は髭を蓄え、ボタンの代わりに鍵ホックを使う。浮ついた心と浪費を象徴するのが流行に流された服装であり、ボタンは装飾的な意味を持ち、悪を表すとした。
 彼らはスイスを追われ、ライン川を下り、ロッテルダムからクエーカー教徒ウィリアム・ペンが中心となって開拓したペンシルバニアへと向かう。スイスのベルン市当局はアーミッシュとメノナイトを北アメリカに追放することを計画し、1711年、オランダに送る。そこから先は勝手に決めろというものであった。しかし、メノナイトの多くはライン川を下る途中で川に飛び込み、到着した時に残っていたほとんどはアーミッシュだったという。そのままオランダに定住しようとしたが、そこでも孤立していた。1737年の21家族が最初のアーミッシュ移民といわれている。
 実はそんな時にも既にメノナイト派の中にアメリカに移住する人たちがいた。彼らもペンシルベニアに向かった。当時のペンシルベニアは欧州で迫害を受けていたクエーカー、モラビアン、シュウェンクフェルダー、メノナイト、アーミッシュなどの集結地であった。
 しかし、この地は英米戦争、独立戦争の地であり、彼ら平和主義者は闘わないという主義を通す。1816年、1819年の欧州の不作と飢餓で多くの欧州人が北米に移住をしたが、アーミッシュも例外ではない。しかし、単なる経済移民ではなく、自らの振興を実践するために移住してきた点が異なっている。
 彼らは平和主義を守るために、国家に対する忠誠を誓うことも拒否している。しかし、国民としての義務である税金は納めている。学校教育についても彼ら独自の教育を行い、国家の指示を受けることは拒否している。彼らにとって最も守るべきものは「オルドゥヌンク」として伝えられる不文律である。それでも厳格にこれを守る人達と、徐々に現代文化に移行する人達が存在しているが、「己の意思を捨てて神の御意志に完全に従う」という初期再洗礼派の振興を受け継ぐ「ゲラッセンハイト」の概念がアーミッシュの生活のあらゆる面に浸透している。
 また、彼らの教育に関する信念も独自のものがあり、「知識よりは知恵を」として学校は一般社会の影響を最大限に食い止められる一学級学校で、八年間の差のある子どもたちが一堂に会するものなのである。この教育は公式に認められたものであり、1972年にウィスコンシン州アーミッシュとの裁判判決によってであった。
「結局、公立の学校へ入れること、高等教育を受けさせることは、農業を中心にする生活を捨て、信仰を捨て、最後にはアーミッシュ宗派の社会そのものを揺るがすような結果を生み出すことが、目に見えているからである」(p.140)。
Mrs ロバーツが発表したコメント

今日、この事件を引き起こした男は私が10年結婚生活を送ってきたチャーリーではありませんでした。私の夫はいつでもいてほしいと思うような人を愛し、助ける、思慮深い人でした。とても良い父親でした。子どもたちをサッカーの練習や試合に連れていき、裏で遊んでくれ、7歳の娘を買い物に連れて行きました。おむつを替えて頂戴といって断ったことのない人でした。落胆をしてしまい、私たちの人生は閉ざされ、本日命を失った罪亡き人達を悲しむものであります。お願いですからお祈り下さい。本日お子さんを亡くされたご家族にお祈り下さい。そして私たち家族にも祈って下さい。

 ついに5人目の犠牲者が出た。Google USAのnews検索するとこの事件に関する記事は既に2500件近く引っかかってくる。米国内に限らず、この件に関しては大きく報道されており、私が聞いたペンシルバニア州内のnews & talk局は毎時のニュースで取り上げており、最大ネットやCNNのサイトでは長い時間をかけた解説がどんどんアップされた。

*1:現在のアーミッシュが教会ではなく信者の個人の家に集まって礼拝をするのもこの名残といわれている。そしてこの頃の一般世間に対する深い不信の念、国家に対する否定的な姿勢が現在にまで受け継がれている。