ほぼ足りてまだ欲 その先

「ほぼ足りてまだ欲」がはてなダイヤリーの廃止にともないこちらに移りました。

さてまた八代先生である。

こちらのブログで18日にシンポジウムがあったことを知る。ちょっと調べてみたら内閣府経済社会総合研究所主催の第28回ESRI-経済政策フォーラム「最近の賃金・雇用動向の背景と労働市場改革の課題」というものだった。この告知が今月の5日で200名限定の参加者枠は14日には既に一杯となっていた。会場は東海大学校友会館「望星の間」でこれは虎ノ門霞ヶ関ビルの33階にある。基調講演(20分)は大田 弘子内閣府特命担当大臣(経済財政政策)で、演題は「最近の賃金・雇用動向の背景と労働市場改革の課題」となっているが本当にご本人が出席したのかどうか、この日のシンポジウムが計画通りに運んだのかどうかは全く知らない。
 このシンポジウムのパネリストは小林 良暢(グローバル産業雇用総合研究所所長)、樋口 美雄(慶應義塾大学商学部教授)、ロバート・A・フェルドマン(モルガン・スタンレー証券会社チーフエコノミスト)、そして八代 尚宏(経済財政諮問会議議員、国際基督教大学教養学部教授)で、モデレーターは黒田 昌裕(内閣府経済社会総合研究所長)とされている。
 このシンポジウムの案内の中には「企業収益が改善しているにもかかわらず、雇用者所得の伸びは頭打ち」、あるいは「賃金面からの物価上昇圧力が極めて弱いものとなっていることから、物価上昇率は依然としてゼロ近傍で推移しており、デフレから完全に脱却したとまで言える状況には至っていない」と指摘している。
 さて、毎日新聞の記事には八代先生がこのシンポジウムでどの様な趣旨の発言をしたかが取り上げられている。

労働市場改革:正社員待遇を非正規社員水準へ 八代氏示す (毎日新聞 2006年12月18日 20時31分)
 経済財政諮問会議の民間メンバーの八代尚宏国際基督教大教授は18日、内閣府労働市場改革などに関するシンポジウムで、正社員と非正規社員格差是正のため正社員の待遇を非正規社員の水準に合わせる方向での検討も必要との認識を示した。
 八代氏は、低成長のうえ、国際競争にさらされた企業が総人件費を抑制している中、非正規社員の待遇を正社員に合わせるだけでは、「同一労働・同一賃金」の達成は困難と指摘。正規、非正規の待遇を双方からすり寄せることが必要との考えを示した。
 また、八代氏は現在の格差問題が規制緩和の結果生じた、との見方を否定し「既得権を持っている大企業の労働者が、(下請け企業の労働者や非正規社員など)弱者をだしにしている面がかなりある」と述べた。
 八代氏は、労働市場流動化のための制度改革「労働ビッグバン」を提唱しており、近く諮問会議の労働市場改革の専門調査会の会長に就任する予定。【尾村洋介】

 つまり、下を上に上げるのではなくて、上を下にあわせて下げろという主張である。下を上げたらより人件費が製品コストを引き上げ、国際競争力が落ちて経済の停滞を招くという。しかも現在の格差は大企業の労働者が弱者をだしにしているのだと表現している。
 この論理で行くと大企業の多くが史上最高の利益を上げ、経団連が政治献金を出そうとし、株主に対する配当が復活している中で、春闘のベース・アップなんて考えられないというコメントが平気で、当然のように出てくる、やらずぶったくりの企業資本だけのためにある奴隷労働国家が実現されることになる。
 労働報酬を低い方に会わせてそれを「同一労働・同一賃金」と表現するだなんて・・。その論理には希望もなければ高邁なる思想がない。しかもその責任を大企業の労働者に押しつけるのは間違っている。本当に問題なのは非常に限定された数に過ぎない大企業の労働者に対して払っている労働報酬なのではなくて、ここまであった規制をなし崩しにして非正規雇用労働者を大量に発生させ、そこで労働の搾取を大幅に、おおっぴらに実行している政策である。
 現行の法では三年間の派遣労働契約によって正規雇用提示義務が生じてしまい、それを嫌がる企業側からその前に契約を打ち切られてしまうのが問題だ。だからそれを無期限に非正規雇用をできるように規制緩和をすれば、雇用を打ち切られることが回避されるという、問題のすり替えを平気でやれる所は小泉純一郎ばりである。
 問題は雇用側にある。そもそも派遣労働を規制緩和と称して拡大し、外国人労働者を「研修・実習」と称してその期間をどんどん延長してきたことを振り返らないですっ飛ばすという乱暴なやり方が「学識経験者」としては甚だ破廉恥で「御用学者」というレッテルを貼られてしまっても致し方がないといえる。
 ここで語られていることは「格差の拡大」「格差の固定化」である(なんだか借り物論理のようで潔しとしないが)ことはきちんと指摘しておかなくてはならない。これが社会保障制度があらゆる場合、場面を想定していて、つまり余裕のある運営ができるシステムとなっていて語られるのであれば、乗ってしまいそうなのだけれども、あらゆる意味での「福祉」に関連するシステムがどんどん切られ、形骸化し、名目化していこうとしている中で、こういう価値観で議論をしているのは「研究の破綻」であり、市民への冒涜だろう。
 社会保障の対象といえば、所得・資産の少ないひとたちは皆おしなべて地道に働いている人であるということはいえない。中にはやればやれるのにやらないで貧困に人生を委ねている人だってもちろん存在する。しかし、その例を取り上げて、だから現行の社会保障制度は間違っているという論理は自分がそうした側に立たないだろうと思っている、あるいは思いこんでいる人の論理である。