先日見た「父親たちの星条旗」のカウンター映画、「硫黄島からの手紙」を遅まきながら見た。クリントン・イーストウッド監督、脚本アイリス・ヤマシタ。こちらもまた多くの男性高齢者の観客が詰めかけている。私の前にお座りになった方なぞは予告編の間に深い眠りにつかれてしまっておられたが、最後に気がついた時には身を起こしてご覧になっておられた。
硫黄島における日本の状況を全く知らないもの知らずな私なので、なかなか飲み込めない部分も多い。陸軍と海軍はその大本がそうであったように、ここでもなにかと対立し、栗林中将にあからさまに横やりを入れてくる幹部が描かれており、共同して作戦にあたることができなかったように見える。様々な資料に出てくる硫黄島での飢餓と伝染病の話もかすかに伺えるが、それほどひどかったようには、まだこの映画では、うかがい知れなかった。結局硫黄島に建設されようとした総延長28kmにおよぶ地下壕は18kmしか建設されなかったが、相当に効果を上げたことが想像される。最終的に日本の兵力は陸軍 (総兵力 13,586名)+海軍 (総兵力 7,347名)、陸海軍合わせて兵力約21,000名に対して米軍は総員約61,000名だったようである(ウィキペディア=Wikipedia)。
「私たちがここで敵を釘付けにしている間、わが国民はそれだけ生きながらえることができる」という説得はアジア太平洋戦争の映画には必ず出てくる。特攻隊の映画の中でもこの論理は多用される。結果として35日間米軍の攻撃に耐えたようである。しかし、この間にも本土は大々的に空襲を受けている。
小笠原諸島全域で戦前6800名もの民間人が暮らしていたこともぴんと来なかった。最終的に4月から終戦までに800人以上が米軍の捕虜になったことも知らなかった。民間人、それも戦後の生まれの方ながらこの方のサイトを興味深く見せて頂いた。
この映画には映画展開中にほとんど音楽が流れなかったような気がする。日本製のこの種の映画であれば、必ずや効果音の如き音楽が流れる。特に最後の栗林中将が副官の藤田に介錯を命じる場面などには必ずあるだろう。それがないことに途中あたりから気がつき始めたので、前半がどうだったのか全くわからないが、それが不自然さを醸し出さない。それだけでもこの映画は評価に値すると思った。とかくこの種の映画を日本で作るとそうして涙を誘うだろう。「嵐」の二宮くんをどうだったか見てこいといわれたのだけれど、彼が第一子を妊娠中の妻と二人でパン屋を営んでいたにしては、あまりにもルックスが若すぎた。演技の上では遜色ないのだろうけれど、それが気になった。憲兵がつとまらず、硫黄島に配属された清水は非常に象徴的な役回り。
こちらに硫黄島協会という組織があることもこの映画で初めて知った。
戦争から生還した人びとが多くの場合その体験、経験を公的にも私的にもあまり明らかにされない。その背景には様々なことがあるのだろうことは想像ができる。多くの場合その極限の状況には日常的となってしまった非倫理的状況ゆえの麻痺した感覚がつくりだす日常が影を落とす。人間は疲労ゆえの麻痺感覚に弱い。流れていく。立ち止まることができなくなる。そして、その状況が明確に非日常となった時に、今度は命を失っていったものたちへの「遺されたもの」としての悔悟感、罪悪感が浮き彫りになるだろう。同じような意識が人の他界によって遺された人びとの感情にも起こる。あの時私がこうしておけば、私がこちら側にいたら、私がこの一言をいっておけば、私がこれをやっていたら・・・。あの時私がはっきりと反対しておけば・・・。そのためには云わなくてはならないこともある。やらなくてはならないこともある。しかし、人は皆後悔の念を持って行き続ける。それを払拭するために他のことをし続け、言い続け、頭から振り落とそうともする。他の人を罵倒し、殴りつけ、いたぶる。悪いのは俺じゃない、あいつだと。それもやっぱり根底に罪意識が漂う。