ほぼ足りてまだ欲 その先

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玉砕

 昨日の保阪の話から。
 巷ではパラオペリリュー島という名前が流布されている。天皇・皇后が慰霊に行ったからだ。ペリリュー島も12回あったといわれている先の大戦の玉砕戦地のひとつだといわれている。最初に玉砕といわれたのは北のアッツ島だ。日本軍は飛行場を建設しようとした。アッツ島は当時アメリカの領土だ。アメリカ軍は意地でも取り戻そうとした。圧倒的な兵力で奪回作戦を展開する。工兵を中心とした北海道旭川連隊を中心とした兵力では持たない。増援を要請する。作戦本部が軍令本部に上申する。「一死困難に殉ぜられたし」という電報を受け、最後は残った150名で突撃、玉砕だ。やられてもやられてもずりずりと米軍に迫ってくる最後の兵の一団に米軍兵は不気味な思いを募らせたといわれている。
 日本人は昔から肉弾、人間を武器になぞらえるのが大好きだ。肉弾三勇士から始まって、死んでも死んでも後から兵が出て来るという姿が大好きだ。
 そこには徹底的な他己精神というか自虐精神というか、自分が犠牲になることで、自分が死ぬことで他者を救うということが美しいことであるという考えに基づいているわけだけれど、この国には今でもこういう考えを美化する風土に満ちている。だから、特攻隊にいつまでも賛美を送るやり方が廃れない。
 玉砕だなんて呼び方をするのが間違っている。「全滅」だ。しかも、なんのために全滅するのか。そのまま投降すれば生き残る可能性があり、部下の命を預かる立場からしたら、命を助けることがなんの不具合があろうか。戦陣訓なんぞという非常に無責任なものを振り回し、投降は卑怯な選択だと教えたことの罪は大きい。
 しかもだ、戦後70年も経っているにもかかわらず、「犠牲となった尊い命」だなんぞといい、無責任にも国民の命をあたら見捨てた軍官僚の親玉連中を「神」としてあがめ奉っているのである。このどこに正義があるというのか。
 天皇・皇后両陛下が慰問したのは日本軍兵士だけではない。米軍兵士の慰霊にも参り、あの戦争で犠牲になったすべての人たちのために祈っている。現地の先住民の皆さんに強制した日本語教育を詫びなくてはならないと思うがその点に関してはほとんど報道を目にしない。

  • ペリリュー島での戦死者10,650名。捕虜となって助かったものわずかに150名。

美濃部正少佐

 昭和20年2月末、第三航空艦隊司令部による沖縄戦に関する研究会指揮官230名を集めての特攻の説明の折、美濃部はただ一人、「100%死ねという命令を自分が下すことはできない」と反対意見を主張したそうだ。後に保阪がインタビューした時に、彼は銃殺も辞せずと思っていたのだそうで、その恐怖からか、下着が皮膚に貼り付いていたと語ったそうだ。その晩大西は美濃部を呼び、酒の飲めない二人は素面のまま夜を徹して語ったのだそうで、大西は「事ここに至ってはやるしかないのだ、最後は天皇さんにも乗って貰う、そうすればアメリカも攻撃を止めるだろう」と語ったそうだ。美濃部は1997年に81歳で亡くなるまで愛知に暮らしたそうだ。