多分、子どもがいることによるメリットよりもデメリットの方が多いと判断されているんだろうか、とも思うけれども、意外とそんなこと別に考えたことはないなぁという場合が多くを占めていたり、え?とても子どもを育てるということについて考えるなんていう物質的な、あるいは精神的な余裕がないよ、ということなのかも知れないなぁと思ったりしている。だけれども、そこのところがよく分からないからどうしたらこの事態を解決できるのか、といわれても直球を投げられない。
子どもがいることによるメリットって・・
- 自分の存在を未来へ繋ぐということを無意識のうちに実現しているのかも(でも、なにかの作品や生み出したもので自分の存在を残すことだってできるよなぁ)
- 将来的に頼る家族ができることで安心感を得ているのかも知れない(じゃ、子どもを持たない人は将来的に不安なのかといったらそんなことはないしなぁ・・)
- 家族の良さが欲しい(とはいえ、自分が生まれてきた家族はうざいばっかりじゃないか、と思っていたこともあるし、そう思っている人だっているはずだよ)
子どもがいることによるデメリットって・・
- 関わり合いが面倒、ひょっとするとこどもが原因でトラブルになるかも知れない(でも、こどもは抱きしめたいほど可愛かったり、目に入れても痛くないというほどの感動を与えてくれることもたぁくさんあるよ)
- 子どもの存在によって行動が縛られて自分の好きなことができない(子どもがいないと得ることのできない一体感だってあるし、涙が出るほど楽しいことだってあるなぁ)
- ひどいつわり、出産の苦しみ、なんて辛いことはやりたくない(う〜ん、これは男には見当がつかないけれど、歯医者で歯を削られるよりも大変そうだということは想像はつくなぁ。でも子どもの寝顔を見たら、あぁ、こいつが生まれてきてよかったなぁとなぜか思ってしまうけれどなぁ。)
じゃ、なんで子どもが生まれなくなってきているんだろう
- 核家族化が原因か? すべからく先進国はどんどん出生率が下がる傾向になるというのはデーターがそのままに語っているわけで、これはそのままにしておけば明確に低下に拍車がかかるだろう。たかだか35-40年ほど前は夫婦+ふたりの子どもという家庭ユニットがごく普通に考えられていた。勿論その頃から子どもがいない家庭も普通にあったし、結婚しない人だって普通にいたし、3人、4人という子どもを抱えている家庭だって普通にあった。しかし、その割合がどんどん減ってきたということだけれども、その違いはなんだろう。 その当時だって既に核家族という状況は当然の如くとなっていた。核家族という状況はどこから生まれたかといえば、これをなくしては企業社会の基盤が存在しえなかったということなのだから、高度経済成長社会を経過することによってこれは確立したはずだ。その証拠として多摩ニュー・タウン、港北ニュータウンといった郊外の集合住宅が成り立ったことがそれを示し、その地域の高齢化がその時代の経過を語っていることは明確だ。つまり、核家族化というキーワードはこの際出生率の低下の原因としては消し去って良いのじゃないのか。それとも、あの当時はまだ原型社会のサポートというものがまだ残存していた、つまり引きずっていたのだろうか。
- 経済的な問題はどうだろうか。 一世帯あたりの年収が高くなるほど出生率は低下していく傾向にある。これは要素として考える必要がありそうだ。昔から「貧乏人の子だくさん」というけれどそれは本当か・・・?。ならば年収を下げると出生率が高くなるということに繋がるとでもいうのだろうか。だから、格差の存在なんて認めないということにして、結果としてどんどん貧困家庭を作り出して、それによって出生率を高めようというのが政府の考え方なのだろうか(そんな、あほな!)。経済的に多くを望めそうもないから結婚生活を送るのは大変に不安、という場合もあるだろう。それよりもなによりも「わざわざ、苦労するのが分かっているんだから、そんな経済状態にある人とは結婚なんてしない」のだろうか。あるいは、将来的にどんなことが起きるか分からないから、いざというときに経済的にそれを支えることに対する自信が持てないから敢えて家庭というものを持とうとしないのか。だとしたら政策によって仕組みを変えていく、ということは可能なはずだけれども、今の様な方向性がそうではないことだけは確かだ。なぜなら今そうなっていないんだから。
- 戸籍に縛られなければよいのか。 じゃ、結婚しなくても子どもを作ることができるという状況ができればよいのだろうか。それでも経済的に立ちゆかない状況で将来の生活に不安が残るのでは親の保護を必要とする子どもという存在を生み出そうとは思わないだろう。それはどういうことかというと、やっぱり経済的な問題に集約されるということだろうか。かつて「一人口は喰えなくてもふたり口は喰える」といういい方があった。ま、経費を削減できるという、いわばM&Aによる効率化とでもいえる様な論理である。しかし、当時はその後も終身雇用に基づく社会通念があったから右肩上がりの所得の変化が期待できるのが世の中の共通認識だった、という点は今とは根本的に違う。今ではいつどこで破綻するかも知れないという不安はいつでもある。
- 良し!子どもが欲しいぞ!と思う動機はなんだろう。 あぁ、子どもが欲しいなぁ、と思うのはどんなときだろうか。自分の周りに、とっても可愛い子どもを抱えた夫婦がいればよいのかな?格好良くて時代の最先端を行っている(と「思われる」でも良いんだけれど)夫婦が子どもを育てることの喜びをどんどん発表していこう!例えば、もし木村拓哉と工藤静香の夫婦がうまくいっているのだとしたら、ふたりの娘をどんどん露出して、可愛いでしょ?と言い続けたら、ドッと追従する人たちが増えるんじゃないだろうか。昨年出生率がほんのちょっと上がったのは皇室の新しい孫が生まれた、という要素がその要因だろうといわれていなかったっけ?そういう点では皇室ニュースをどんどん増やし、なおかつ皇室にどんどん新しい孫が生まれることは意味を持つのか。冗談じゃない、私たちをそんなに軽薄に思ってくれるな、という声が聞こえてきちゃいそうだ。申し訳ない。
- 補助金の創設は解決策となるのか? 児童手当をつくればどうだろうか、という話がある。例えば、何人子をもうけようと、その子どもが、もし希望すれば大学卒業まで毎月児童手当が出る、ということになったら出生率は上がるのだろうか。しかし、それでもその金額によるだろう。子どもひとりにつき毎月1万円程度の補助金であったらそれは全く焼け石に水だから、大して評価の対象にはなりにくい。じゃ、ひとりあたりいくら出したらみんながほっとするのだろうか。例えば18歳までの教育費、医療費を全て国庫負担にしたらどうだろうか。すなわちその分、徴収する税負担は増えるわけだ。少子化ではダメなんだとするのであれば、国民ひとりひとりがそれを解決するために負担しなくてはならないものなぁ。
ここまで考えてきても、さっぱり有効打にあたらないのだ。いったいなんなんだろうか。想像力と創造力の欠如だな、こりゃ。