ほぼ足りてまだ欲 その先

「ほぼ足りてまだ欲」がはてなダイヤリーの廃止にともないこちらに移りました。

国立博物館 

 生まれて初めて上野の公園の一番奥に鎮座ましましている国立博物館にいった。ニュージーランド国立博物館の「マーオリ 楽園の神々」展を見にいく。ニュージーランドに行ったことがないんだけれど非常に興味を持っていたし、ニュージーランドに於けるマーオリの社会がどの様な状況にいるのか、という点については関心がある。今日からこの展示にあわせて映画「クジラの島の少女」の上映があるというので出かけた。それにしても国立の施設らしい居丈高な雰囲気に満ち満ちている施設である。それは敷地全部を柵で囲ってあたかも城の様な構えであること、どうだ分かったかといわんばかりの建物ばかりであることもあるけれど、入口の門に立っていたふたりの若い男の対応にもあるし、建物の要所要所になんだか機動隊の警官がスーツを着ているかの様な雰囲気の男たちが立っていることにもあるのかも知れない。とにかく職員の数は今時のデパートの比ではない様な気がする。
 映画はマーオリ(日本語でこれまで言われていた「マオリ」といういい方は多分英語をそのまま読んだ結果ではないのだろうか)のある部族に生まれた少女を主人公としたストーリー。二卵性の双子として生まれた少女はその出生時に母と一緒に生まれた弟を失う。父は彼女をパイケアと名付けるが男の子孫にしか意味を見いださない祖父はそれを許さないが父は強引にその名を付けてしまう。父は失意のうちに家を離れてドイツでマオリ彫刻家として暮らす。クジラに乗ってこの地にやってきた「パイケア」を族の祖先とする祖父は生まれてきた少女に興味を示さないが長男である父がドイツに行ってしまったことも許せない。結果的には少女を育ててきた祖父は、同年齢の男の子たちを厳しく訓練し、他に変わる族長を育てようとする。しかし、思った様にはならない。一方少女は他の男の子たちと同じように自分も訓練に加わりたい。祖父はそれを断じて許さない。しかし、少女にはどうもその力がついている様だ。祖父が男の子たちへの最後の訓練として海に乗り出し、自らの首からクジラの歯でつくった飾り物を取り外し、海に投げ、取ってこいという。少年たちは次々に飛び込むがすんでの所で取り逃がす。祖父はがっかりして寝込む。助けて欲しいと祈りの声を上げる祖父を見て、少女は自分も祈りの声を上げる。次の晩砂浜にクジラが数頭打ち上げられる。族の人びとが集まってクジラを助けようとするがとても難しい。すると少女が最も大きなクジラに寄り添い、そのクジラの上に乗るとクジラは自らの力で海へ動く。少女を乗せたまま海を泳いでいくクジラ。ついにクジラから離れた少女は意識不明で発見される。祖父はついに少女を真の「パイケア」と認める。
 2003年に公開されたニュー・ジーランドとドイツの合作映画である。どうりで最後のロールを見るとドイツ語が混ざっているわけで、映画を見た時点ではそれを知らなかったので、一体この英語でない綴りはなんだろうかと不可思議だった。なんだかどこかの国の跡取り問題そのままの様なストーリーである。ニュー・ジーランドという国はそれまで暮らしてきたマオリとヨーロッパからやってきた人たちの間で闘いがあり、ヨーロッパ人に征服されたという過去がある。この映画にも米国における先住民、豪州における先住民と同じような状況になっている様な雰囲気が見られるシーンもある。しかし、この映画では一切白人との間の軋轢については触れられていないし、勿論この展示会でもその点については全く触れられてはいない。
 原作者ウィティ・イヒマエラは昨年6月に来日し、各地の大学で講演を行った様だ。映画の監督は女性のニキ・カーロ。展示は3月18日(日)まで。映画は7日(水)、8日(木)、9日(金)、11日(日)、12日(月・休) 10:30〜、14:30〜の各日2回上映。場所は国立博物館の平成館 一階に入って左の大講堂。
 丁度二階の大講堂の上に当たるところで展示が行われている。さまざまな展示は白人がやってくる前からのものも含む。なかでも私が面白いなぁと思ったのはマオランの繊維でおられた多くのマント(カフというのがこれに相当する言葉だろうか)である。非常に細い糸を使って編み込んである様子を見ると日本のアイヌの人びと、あるいは北米先住民が残している繊維を編み込む発想、技術を思い起こさせる。様々な模様を彫り込んだ木彫りのいろいろなものが展示されているけれども、その解説に素材が「木」としか書かれていないのだけれども、どんな種類の木材が使われているのかを知りたかった。高山で見た木彫りの作品でも思ったのだけれども木の材質によって随分その作業に馳せる想いが異なってくる様な気がする。