ほぼ足りてまだ欲 その先

「ほぼ足りてまだ欲」がはてなダイヤリーの廃止にともないこちらに移りました。

愛るけ

 昨日はかつての仕事の上でのお知り合いからの伝言をいただきに行って、いつものところで呑んでいると、30年来の友達ふたりが次々にやってきて、まぁ、盛り上がる。「そんなこといわないで【愛るけ】も見てやってよ」といわれちゃう。
 実は私は渡辺淳一の一連の日経新聞連載定番小説をまったく評価していなくて(今回のものはほとんど見ていないけれど)、何度も同じ様な題材で稼ぐんじゃねぇよとまで思うくらい。ま、これが人文書だったら、その分野の専門家なんだから当然なんだけれど、これは小説だからなぁ。しかし、驚いたのだ。この人の支持者、この人が書くこの類の世界をこよなく愛する人というのはとりあえずたくさんいるのだ。というのはこうだ。昨夜、都内某所のある書店の中で目当ての本を探して下へ降りてくると金屏風の前にテーブルがしつらえてあってなにやら社員のおっさんが仕切っており、その横を通ろうとして私を遮ってまで何かを叫んでいる。なんだか邪魔者扱いで、あんまり愉快じゃないなぁ、一体なんだろうと思った。そのうちに「渡辺淳一先生のサインをお求めの方は整理券をお持ちになりまして、外にできております列にお並び下さい」ってんである。お、そういうことなのかと自分が捜していた本を求めて外に出てみると、いるわいるわ、その時点で既に100人近くの人が整然と雨が降ろうかという夜空のもとお並びであった。かなりの人数が男性、50-60代という感じ。しかし、4割ぐらいは女性で、その雰囲気は実にヴァラエティーにあふれているという感じだった。つまり男はワンパターンの親父連中だけれども、女性は特定できないという雰囲気だった。
 NIKKEI.NETに作者の言葉がこちらに掲載されている。

 いま、純愛ブームだという。肉体関係がない、精神的なつながりだけの愛が純粋だと思いこむ。だがそれは単に未熟な幼稚愛にすぎない。精神と肉体と両方がつながり密着し、心身ともに狂おしく燃えてこそ、愛は純化され、至上のものとなる。今度の小説は、その純愛のきわみのエクスタシーがテーマである。その頂点に昇りつめて感じた人と、いまだ知らぬ人との戦いである。最高の愉悦を感じるか否かは、知性や論理の問題ではなく、感性の問題である。はたして、この戦いはいずれが勝つのか、そして読者はいずれに軍配をあげるのか、ともに考えていただければ幸いである。

 なんともはやの「ご案内」で恐れ入るんだけれど、「未熟な幼稚愛」ってのもなんなんだけれど、この中に書かれているのはただ単に「白い透き通った肌を持つ人妻」との不倫に耽溺するいやらし爺の話に過ぎないじゃないの。「愛の純化」だ「この戦いは」だなんて大げさに大上段に振りかぶるなんて話か。自律できない勝手気ままな男の話に過ぎない。だからこそ、そうしたくてしょうがないおっさんたちに支持されるのかも知れないけれど、そうしたものは昔から密かに自分の部屋で人知れずして「ヌッヒッヒ」といいながら(私だったら)妄想を大きくして、外ではシレッとそんなことは知らないよという顔をしてヌシヌシと早足で歩くってなもんだ。