ほぼ足りてまだ欲 その先

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外食

 初めて外食をしたのは一体いつのことか全く記憶にはないが、あまり大したものではないはず。実家のそばの駅近くにあった東映封切館にオヤジに連れられて見にいくチャンバラ映画が撥ねた帰りにそのそばにあった日進なんとかという食堂でハヤシライスなるものを食べた記憶がある。今から考えるとろくすっぽ肉なんてものは入っていなくて、語源だというハッシュト・ビーフからはほど遠い。だから私の年代は「ハヤシライスの語源はなんでしょう?」というクイズを出されても納得できなかったのではないだろうか。上になぜかグリーン・ピースがパラぱらっと乗っているというものであった。
 鮨はなぜか近所の「おかめ寿司」というのがあって、今でも何かというと実家に集まると出前して貰ったりする。今はもういない実家の両親の金婚式記念食事会はあそこの二階で、姉がカラオケまで用意してくれた。今と違って、私たちの世代だと家族でカラオケをやるなんて見せない手の内をさらけ出すようでイヤだった。それでもエルビスの大ファンだった姉と私はそれぞれ何かを唄ったと思うが、ほとんど盛り上がらなかった。昔はおふくろが良くひとりで喋りながら唄っていた。あの人は本当に唄が好きだったんだろう。何かにつけて唄った。オヤジは唄は好きだったが、下手だった。なにしろ不器用だったからだ。身体がでかいくせに、イヤでかかったからか、ゴルフも下手だったし、野球も下手だった。そのくせ下手の横好きだった。そんなところが私はそっくりだ。好きだけれども下手だ。
 ナイターを見にいこうとなった日にはこの鮨屋助六の折にしてもらってそれを抱えて川崎球場に行った。そばの類は「藪そば」から出前して貰ったり、散歩代わりに歩いていって食べた。地元はコミュニティができあがっていてたまに行くと心地よいが、ずっと同じところに住んでいたら、私はきっと息苦しくなったかも知れない。しかし、それがあったからこそ後ろ指を指されるようなことをするわけにはいかなくて、自制が働いていたのかも知れないと思う。今や、いつどこへ出かけようと帰ってこようと誰にも見られるわけでもないし、誰もそれを見ているわけではない。