ほぼ足りてまだ欲 その先

「ほぼ足りてまだ欲」がはてなダイヤリーの廃止にともないこちらに移りました。

あぁでもない、こぅでもない

あぁでもない

 昨日のNHK総合テレビクローズアップ現代」は労働力が足りなくなる日本の物作りの現場で、様々なロボットが開発され、微妙な人間の感覚による調整までこなそうとする機種とソフトが工夫されているという状況が伝えられていた。これはなにも今更始まったことではなくて、もうかれこれ20年以上昔から如何に機械化するかという観点で作業の解析が行われてきた。日本の現場は労働者が自らの作業の効率化を自ら分析し、そして結局自らの首をかけてきた。それにしてもつい昨日まで若者に対して冷たくあしらってきた製造企業群が今更「人手不足」だから機械化へと言い出してもなんとも切迫感がない。どうせ、人間の作業を機械に置き換え人間は要らないといって金をかき集めるのだろうと思うと真剣に見る気になれない話題だった。それにしてもかつての製造現場の開発力は凄かったと改めて振り返るきっかけにはなった。
 そして、これだけの作業をこなし、あれだけのエネルギーを費やしながらひとつの方向性に向かってチームを動かしていく力を考えると、日本の製造企業はどうしても国内に拠点を置いて製造を続けていく以外に方法がないといっても良いのではないだろうか。製造装置を外国にもっていくことのメリットは見つけられないはずだ。となると、史上最高益を重ねる企業群からなぜ法人税をきちんと提供して貰わないのだろうかと現政権の方針はやはりおかしいのだという結論にたどり着く。

こぅでもない

 あの唄や、あの旗を法律で規定した時から世の中は大きく舵を切ったのだなぁと今更ながら思う。そんなことをいわれたらイヤだ、こんなことをされたらイヤだ、もうあんなことは思い出したくない、もうこんな状況を再現したくない、という人がマジョリティーではないのがこの世の中なんだからしょうがないじゃないか、ということになるのだろうけれど、様々な手垢にまみれてしまったものをいつまでも振りかざす、そしてそのことによって様々な波風を立てるよりは、再生にかけた時に巧く切り換えることのできなかった、そしてその結果としてあんな状況を再現したいと願う人たちにその機会を明け渡してしまったことがとても残念というしかない。わたしたちは機械でありたくない。機械的に置かれたくない。昨日東京裁判のDVDを見ながら資料を点検していたのだけれど、あの裁判そのものの根本論ではなくて、あの中で語られていたことを見ていると、結局誰も彼も言い逃れのために策を弄する。それを今の私たちはなんだかんだと理屈をつけてこの期に及んで生き返らせようとする。こうなると、じゃ、いったい誰が悪かったのか、となる。あ、そうか。そんな場合は誰も悪くはなくて、いつまでも繰り返されるようにあっちが悪いのか。・・・えっ、じゃ、なんでこんなにぺこぺこして居るんだろうか。