ここから下を走り、国道18号を横川に向かう。この道はもう40年前から通っている道だ。JRが長野新幹線を通して碓氷峠を越える在来線を廃止してしまい、そのうえ上越自動車道が出来てからこの道もそして横川という駅のこともすっかり忘れられてしまった。それなのにここの「おぎのや」は未だに営業をしている。ここのお店が綺麗になってから多分入ったことはないだろう。いつも上から降りてきてはここに出入りする車のおかげで渋滞を起こしていた。
その昔は信州へスキーに向かう汽車がこの駅に着くと峠越えに備えて増強機関車を接続する時間にホームに降りて、この釜飯を抱えているおじさんめがけて駆け寄って、幾つも仲間の分を買い込んで戻ってきたものだった。その時のがやがやした雰囲気と一緒に外の寒気が入り込んできたことを懐かしく思い出す。妙高近辺のスキー場に出かけたことがそんなにあったとは思えないのだけれど、何回も何回もそんなことがあったような気がするのが不思議だ。どうやら今ではここがセントラルキッチンになっているらしくて、上越自動車道の佐久平の出口の前にある新しいお店や、パーキング・エリアの店に運んでいるらしく、トラックが出入りする。二階が全面食堂になっているが、私たちを含めて3つほどの30人前後の団体が昼食を取っているだけの寒々しい風景だった。この釜飯がかつてはいくら位したのか、思い出せないのだけれども、今は900円するというのだからとっくの昔に贅沢品になってしまったのだ。小さな経木の箱に入っていた「香の物」も今ではプラスティック容器になっているが、一合炊きの大きさの益子焼きの釜は変わっていない。
今は既に無料開放となったバイパスを使って碓氷峠を上がる。ここまで昔懐かしい道を辿るのであれば旧道を上がっても良いのだけれども、さすがにあのくねくねを上がるのはしんどい。それでなくても白根のお釜を見にいく時間がなくなっちゃう可能性大。軽井沢は端境期も良いところで、ゴールデン・ウィークになればそれでもアウトレットあたりに人が出るのだろうけれど、晴山のゴルフ場にも、アウトレットにも驚くほどの人はいない。中軽井沢から北軽井沢へいつもの道を辿り、万座鹿沢口に一旦出ると吾妻川の堰堤には染井吉野が満開直前でまだ花びらが散らない。ということはあの群馬県立さくらの里よりこちらの方が桜が遅いということになる。その辺から昼飯のお釣りが来たのか私はいぎたなく眠りこけ、草津の温泉街の入口を左に曲がったあたりまでは覚えているが、天狗山のスキー場の下あたりを通ったことを全く覚えていない。気がついたときはもう既に左側に浅間山が大きく見えてきていた。冬の間閉鎖している草津白根ルートが開通してからまだ一週間ほどしか経っていないということだけれども、やはり今年は雪が全くといって良いほどない。それでもお釜の横の駐車場にたどり着くと、雪があるのだけれど、凍り付いているわけではなくて、触ると結構さらさらした雪が乗っている。あとで聞いたら前の日に雪が降ったというのだ。寒気が降りてきているという話はあるし、東京では前日夕立があって虹が出たことを思うと、こっちは雪だったことは意外なことではない。
以前、夏の時期にお釜を覗いた記憶はあるのだけれど、それが一体いつのことでどんな状況だったのかは全く思い出せない。きっとその頃は若さ一杯で、どんなことがあってもすぐにそれがいつのことで、誰と何をしに来たのか、思い出せていたんだろうと思うけれど、今になってみるとそれが全く思い出せない。死んだ父がリタイアをしてから出かけた様々な場所を小さなそれこそいい加減なカメラでバシャバシャ、いや一眼レフじゃないから、パチパチと撮りまくってそれをナカバヤシフエルアルバムにべたべた貼って残していった。なんだか震える手で書いたような自筆のつっけんどんな解説が付いているが、きっとあれももう思い出せない、そして彼の場合でいえば、カメラなんてものがそんなに自由じゃなかった青春の時期を思って撮っていたのかも知れない。とにかく父とはほとんど腹を割った話をした記憶がないから、多分そんなところじゃないかと推測するに過ぎない。
駐車場から見るとお釜を覗けるところまで歩いて上がるところは舗装の道路がまっすぐに伸びていて簡単に辿り着けそうな気がして、40-50分の時間をもらってどんどん歩き出したのだけれど、最後のところが急に斜度が上がってウンウンといいながら上がったら最後のところは積もった雪を階段状に削り、掴まるロープがあった。それを手入れしてくれる防寒着を着た男性がスコップを片手に立っていた。お伺いすると今日は84歳の女性が上がってきましたよ、と仰るのだけれど、それは女性でしょ?と声をかけると、そうそう、昨日の94歳の方も女性でしたよ、との返事だった。そりゃそうだ。男はだらしないのである。お釜は如何にも硫黄分を含む水のあの美しいといってしまいそうなエメラルド・グリーンで溜まっていた。風は身を切り、寒いのだけれど、絶景そのものであった。