ほぼ足りてまだ欲 その先

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明確に

 評論家といわれる屋山太郎産経新聞紙上において「今回の敗因は安倍氏の掲げる「戦後レジームからの脱却」が否定された結果ではないと思う。憲法や教育を含め戦後レジームを守りたい一部のマスコミのバッシングに敗れたといっていい。(【正論】2007/07/31 05:29)」と書いている。一方朝日新聞は社説の中で小田実について語る中で「安倍首相への信任選挙といわれた今回の参院選で、かれらは「ノー」を突きつけた。憲法改正で「戦後レジームからの脱却」をめざす首相への異議申し立ての意味もあっただろう。」と書いている。
 どうも安倍晋三がいう「戦後レジーム」という言葉の定義が広い範囲にきちんと理解されていない結果ではないかと思うし、それが安倍晋三のねらい所なのではないだろうかと思う。つまり様々な意味に取れることによって様々なパターンで支持を受けたり、責任を回避できたりするということである。だからそれぞれがそれぞれの我田でそれぞれの解釈を語ることだってできそうだ。ここで屋山が言う「一部のマスコミ」と指摘しているのは明らかに朝日を指しているといっても良いだろう。
 しかし、そもそもこの「戦後レジーム」によって最大の恩恵に浴したのは自民党ではなかったのだろうか。そしてそのお先棒を担ぎ突っ走ったのは某お坊ちゃんのお爺さんではなかったのか。だから脱却を図らなくてはならない人がいるのだとすれば、それはお坊ちゃん、そういう意味での、まさにあなた以外の誰でもないのかも。私はあの戦後の状況でなくては踏み切れなかった改革によって得られたものは「脱却」という言葉で誤魔化して放り投げてしまうのにはあまりにももったいないと思っているのだけれども、甚だ残念なことに生まれ落ちたその時点で既に今の状況が揃っていた世代にはそう簡単に発想ができないということではないかと懸念している。小田実を失ったこの時点で彼が著作によって青少年の心に起こしたさざ波を、その当時の価値観を共有はできないだろうけれど、推し量ることのできるひとつのものとして読み直してみても良いかもしれないと思った。勿論当時も読んだのだけれど、既にその大半は忘れていて、今年の初めだったかに古本市で入手した「何でも見てやろう」をとりだしてみよう。