ほぼ足りてまだ欲 その先

「ほぼ足りてまだ欲」がはてなダイヤリーの廃止にともないこちらに移りました。

ラジオ深夜便 「見放された兵士たち・ビルマ戦線1000kmの行進」岡山県ビルマ会/難波一(86歳)

 タイトルは1000kmとなっているけれどどうやら実は1500kmを約4ヶ月かけての逃避行であったようである。また今日も最初のところを聴いていなくて詳細な設定がわからない。言葉をお聴きしていて、なんだか岡山弁みたいだなぁと思ったらその通りで岡山の方だった。毎年ビルマ会の慰霊祭を行っておられるそうで、一昨年にビルマに慰霊碑を建てられたのだそうだ。

 手榴弾の破片を左目に受けて失明し、一旦野戦病院に下がった。その野戦病院というのが建物なんかがある訳ではなくて、マンゴー林の中にけが人をあちこちに寝かしてあるだけだった。敵の戦車がやって来るというので軍医は既に衛生兵を連れて移動してしまったあとだった。怪我をした兵はそのままだった。一体歩いて逃げることのできるのがどれくらいいるのかと点呼をとったら70名程いた。歩けない傷病兵を担送するほどの力が残る兵にある訳はないので、仕方なくその場に置いて動き出した。するとその後に敵の砲撃があり、その後に手榴弾が破裂する音が聞こえる。彼らが自決したに相違ない。そこから先は苦しい毎日だった。集落にやってきたら何発かの手榴弾を投げる。すると大きな部隊が来たように錯覚して地元民が森に逃げる。その好きに鶏やら、米やら塩やらを盗んできてまた一週間ほどそれで飢えを凌ぐ。蚊に刺されるとマラリアになってしまうし、その辺の水を飲むとアミーバー赤痢にやられてしまう。そうなるとあっという間にやられてしまう兵が出る。途中で30名ほどの兵と合流し全員で100名ほどになったはずなのだけれど、そうした犠牲者が出て結局最後は70名ほどになった。とにかく帰りたかった。こんなところで死んでしまってたまるかと思った。短期決戦ならともかく、こんな敵を相手にここまで戦争をしてしまったのは全くの間違い。上層部の功名心だけでこんなにたくさんの犠牲を出してしまったのは許されることではない。

 懐かしのSP盤コーナーで日本人が日本語で唄う「I'm in the mood for love」がかかった。なんと昭和12年5月の新譜だというのである。驚いた。
 その後は「グレン・ミラー」と「ベニー・グッドマン」である。こうした思いっきりスウィングするビッグ・バンドを誰か作らないかなぁ。絶対に受ける!
 総合テレビは昨日の午後11時から本日午前3時10分まで「真夏の夜のナマ解説〜どう読む転換期の日本〜」で解説委員が集まってのまとめちゃいます解説、である。テレビ朝日の「朝まで」に比べると別に討論じゃないからひとつひとつは勉強になるんだけれど、面白くない。そりゃしょうがないけれど。