ほぼ足りてまだ欲 その先

「ほぼ足りてまだ欲」がはてなダイヤリーの廃止にともないこちらに移りました。

年末番組

 筑紫哲也NEWS23年末SP“生活破壊”を見た。確かにかつての日本は周りがみんな貧乏だったから貧乏が気にならなかった。にっちもさっちもいかなくなった時、人は依るべき術が今はそう簡単に見つからない。住空間がこうなると覗き見ることもできない。地元にずっと暮らすことができるといずれにしても何らかの繋がりが見つけ出せる。しかし、今はそれだってそう簡単ではない。どんどん人がいなくなる。残された方も繋がりが消えていくし、出ていった方も新しく周りの知らない地域に移ることになる。
 そうなるとたったひとつ頼れるところは行政しかない。しかし、行政のそうしたセクションにいる担当者が必ずしもそうしたフィールドを専門にした人がいるかというと必ずしもそうではない。しかも、予算で動く。
 結局私達の社会はバブルで金銭感覚を失ってしまい、規制撤廃で弱肉強食社会に成り下がった。一旦打たれてしまったらもうそこから立ち直ることができない人たちがとっても増えているような気がする。希望を失ってしまう。すべてに対して抗する力が出てこなくなってしまう。あぁ、ダメだ・・・と膝をつく。膝をつくとばったりいってしまう。
 周りの多くの人たちがつまづき、つまづき暮らしていた頃はそれでも、大きなため息をついては見ても、周りが立ち上がるからこっちもよっこらしょと立てたのではなかったのだろうか。でも、今はガックリと膝をついて大きなため息をついてみても、周りは飛んでもないようなハイテンションで、やれハイビジョンだ、ブランドのバッグだ、と浮かれまくっている。それを見たら飛んでもないほどの絶対差がついてしまったような気がする。こうなったらもうダメだ・・・。その証拠にどこに行っても見下した態度の相手ばかりだ。対等に接してくれる人に出会ったことがないような気がする。
 これから先、ひょっとすると大きな流れができるだろうか。腹をくくるしかないか。声を上げていくしかないか。さて、その声を一体全体どこでどの様に上げたらよいのだろうか。とりあえずは今度の選挙だろうか。しかし、もう住民票がどうなっているのかわからなくなっちゃったから、その選挙にも行かれないという人たちが何人もいるんだろうなぁ。
 私はこんなに頑張っているのよ、それなのに生活保護の方が基準が高いなんて許せない、といっていたお母さんがいたなぁ。