ほぼ足りてまだ欲 その先

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ハンドボール

 もうさんざん書かれ尽くした話題なのかもしれないけれど、オリンピック代表の座を巡って中東勢力と東アジア勢力が剣呑の様子である。一度はオリンピック出場のアジア代表が決まった。けれどそれは金に買われた不正な「中東の笛」によって裁かれた国際試合の結果であって、国際ハンドボール連盟はあの予選を無効としてもう一度やれといっている。アジアハンドボール連盟はそんなのはとんでもないといっている。代表決定のやりなおしには日本と韓国は参加するけれど、他の中東勢はそんな馬鹿な話はあるか、一度決まったんだからといっている。オリンピックのようなアマチュアリズムの頂点にあるような大会への出場代表を、金で買ったかの如き中東の王子様の言いなりにして良いのか、という声がこの国の中では大勢である。
 しかし、オリンピックの組織こそが果たしてフェアな存在なのかともう一度考え直してみなくてはならないだろう。あの中東の王子様は金を遣ったか遣わなかったかは別として正式にアジアの連盟理事長に選出されている。しかもアジアオリンピック評議会の議長である。何が問題かといったらもうこの時点でいくらなんでも金にあかせて牛耳ろうとする姿勢そのものは明確であって、これは一体オリンピック種目のひとつであるハンドボールの問題ではなくて、オリンピックという競技大会そのもののあり方の問題ではないのか。そうした金銭によって簡単に牛耳ることのできるそんな組織だということなのではないのか。
 例えば今度の北京大会を最後に結局種目から外されることになった野球がオリンピックの正式種目になったときも数多くの野球を全くやらない国から見ればなんだか偏った決定だと思っていたかもしれない。これだってどの様な経緯を持って決定されたのかは様々な憶測を呼ぶことだろう。国際オリンピック連盟そのものが別段国連の一機関だというわけではなくて、単なるいち民間団体に過ぎないわけで、これに加盟している各国のオリンピック委員会だってそれぞれの思惑、打算が渦を巻いているわけだ。冷戦時代の政治的な思惑による東西対決の図式をそのまま反映してしまったオリンピック・モスクワ大会もさることながら、今度は油を握る力のバランスによって大いに力関係が変化して、膨大な潜在的な金銭力を誇る国々がぎしぎしと音を立ててひっくり返している。米国や欧州、いやいや、東アジアもどんどんロシアを含めたエネルギー権力によってひっくり返されていくのだろう。
 オリンピックそのものは時の権力、勢力によってずっと書き換えられてきたといっても良いのかもしれない。東京でオリンピックをやりたいといくらいっても時の権力によってひっくり返されるのは容易だろう。それでも余計な金とエネルギーを遣って満足する奴がいるんだからやらしてやりゃぁいいんだよ、てなものだろうか。あんなに面倒なことを国内のいち産業を後押しするためにババを引くのは馬鹿げている、そんなことはやりたい奴にやらせておけば良いんであって、金はもっと有効なことに遣うんだよ、といっている声が聞こえてきたりはしないのか。
 フェアネスの幻想はこうして簡単に買われてしまう。組織が既に買われているのだからこっちは異なる組織を買うしかないのではないかと思う方向もあるか。