ほぼ足りてまだ欲 その先

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史実

 「こっちにちがいない」という方向性を持った解釈傾向をもって歴史的事実を見ようとするのではなくて、歴史的事実を捉えたら、そこから解釈を公正に引き出さなくてはなりません、といわれてから読むようになるとどこに推測が入っているのか、どこから曲がったのかが多少見えるような気がしてきた。
 同じ史実を同じように捉えていてもそこから先が問題なんだなぁと。それでもその史実を取り上げている人がたったひとりしかいなかったり、それを取り上げている人をたったひとりしか見つけられなかったりすると、今度はその人がそれまで取り上げていた内容を傾向的に見定めてみる必要が生じるわけだけれど、この辺から私は推測を交える傾向にあるようだ。しかも、その人の他の場面での解釈傾向を捉えることができれば良いが、全くそんなものも見つけることができなかったとするとその先は推測すら出来ない。
 この命題はとても重要なのだけれど、人は往々にして書かれているペースにはまってどんどん通り過ぎていく。その解釈が右に行っていようと左に行っていようとそれが史実に基づくかどうか、という部分がとても重要だ。
 
 こういう観点で日本の昭和前期を眺め回すと、その史実すら客観的に検証する資料が払底しているようだ。そもそも私たちの国には近代に入ってからも国家的資料保全がなされるという概念がない。その上、戦争に負けたときに大量の国家的資料を廃棄焼却してしまった。戦争に負けて敵が上陸するという予想が立ったときに書類を焼却しろという発想はいったいどこから出て、どのように命令が伝えられたのだろうか。敵に見られるとどんなことが起きるかわからないからとその焼却が発想されるのだろうか。戦争というものは負けたら何をされるかわからないから何でもかんでも廃棄してしまえという発想なんだろうか。多分こういうことをいうと、戦争というものを根本的にわかっていないといって戦争を根本的に理解している人(いったいどんな人なんだろうか)から罵倒されるのだろう。
 今語られている戦前、戦中のわが国の仕組み、動きを伝える多くの資料の出所は圧倒的に米国の国立公文書館、あるいは各地の資料館である。しかし、それでも東京裁判の大量な尋問調書はあくまでも調書であって、誇張、あるいは故意に貶められた表現になっている可能性は充分にある。木戸公一日記にしても尋問にしても、田中隆吉の尋問にしても、どこまでが客観的事実なのかという点については賛否両論だ。
 最も面白いのは笹川良一巣鴨に捕らわれていた間の状況だろう。尤も彼は自ら掴まりたがったという話だ。尋問調書を調べた人の話によればべらべらと良くしゃべり、良く訴えの手紙を書いたらしいが、彼のために書かれた伝記とはその内容は大違いのようだ。妖怪三人、岸信介児玉誉士夫笹川良一は不起訴のまま釈放され、後に様々な場面で繋がる。もっと他にも同様に釈放された人間はいることを書いておかなくてはならないし、彼らは無罪が確定して釈放されたのではなく、簡単にいえば米国がもうそんなことに頓着していられないから裁判に熱がなくなって沙汰やみになったというのが史実だ。