ほぼ足りてまだ欲 その先

「ほぼ足りてまだ欲」がはてなダイヤリーの廃止にともないこちらに移りました。

保阪正康

 昨年聞き続けた(途中で出かけてしまってさぼった回数が何回かあるけれど)保阪正康のメモを整理する。大量にメモがある。大量な史料が提示されている。大量に初めて聴く名前が出てくる。史料の存在を確認し、知らない名前はネットで検索して見当をつける。彼がいったことをできるだけたくさん文字にして噛みしめる。録音を許してくれるともっと楽になるのだけれど、それは厳禁されている。これは保阪の方針ではなくて運営側の方針なのかも知れない。逆かも知れない。
 初めて聴く名前は思いこみで書くから字が当たっていない。すると検索も容易ではない。見当をつけていく。それでも結構判明するから近代兵器は離せない。そうして見つけたサイトは往々にして傾いている場合がある。しかも、軍人の名前だったりすると大いに右側に傾く。それは保阪もいうようにハナから史実を客観的に冷静に読み取ろうとしないで、結論ありきで解釈しているからだということになるけれど、それは私自身の解釈についても大いにその誹りを受けることだろう。
 彼がいうようにすべからく客観的に史実のみを見つめるという作業はなかなか大変で、やはり自分に引き寄せようとする。どうしてか。その方が心地よいからでもある。だから、時として私は保阪の本を読んでいても、なぜここで踏み込まないのか、と思うことがある。だから、私にはそうした客観視した観点でものを書くことができないのだと言い訳してそのままにしている。きちんと対決してひとつひとつを分析していけばよいのに、である。しかし、その方が楽だからでもある。