ほぼ足りてまだ欲 その先

「ほぼ足りてまだ欲」がはてなダイヤリーの廃止にともないこちらに移りました。

マン・ウォッチング

 いつもそうだけれど、バス・ツアーに参加すると全く知らない人たちとバスの中で4-5時間一緒にいたりするし、出かけた先の旅館では概ね夕ご飯を同じ部屋の中で食べるわけだし、ましてや温泉だと男衆は風呂で必ず一緒になるから、おおよその雰囲気がわかってしまう。
 バスの中で随分お歳を召していられるのだなぁと思っていたのに、風呂にいってみると結構しゃきしゃきしていて、見た目よりもお若いのだなと思う人もいる。いい歳をからげているのにもかかわらず、風呂にはいるときのマナーなんてものを全く気にかけていない中高年でも今や平気な人もいる。むしろそんな年代の方が自分がへりくだる気配がないからその分だけ始末に悪い。孫と爺さんが風呂に入ってくると一番始末に悪い。自分の孫は何をやっても良いとでも思っているかの如くだからだ。
 風呂の縁に孫を座らせてその孫に延々と桶で直接湯船からくんだお湯をそのままザブザブとかけ続けるバカ爺にはあいた口がふさがらない。多分こんな爺は声をかけても何がおかしいかもわからない。
 自分もとても痩せてはいないんだけれど、太っている人は本当によく食べる。バスが休憩で駐まる度に何かを口に運んでいる。さっきはタマゴサンドだったけれど、今度はおにぎりだったりする。近頃はアメリカ人やオーストラリア人に負けず劣らずの体型の人を見る。やっぱり食べ続けている。多分ある種の病気だろうことを疑う必要があるのかも知れない。
 概ね齢を重ねると男性よりも女性の方が人との接触が比較的うまい。それは一般社会で長いことを暮らしてきたか、職場という限定社会の中で暮らしていくことになれてしまったかの違いが大きいのだろう。特にサラリーマンや公務員に徹してきた人たちは職場のヒエラルキーが至上だったのだからしょうがない。他を見ている余裕がなかったといってしまえばそれまでだ。本来的にはそれを社会性がないというのだけれど、外に出ている分こっちの方が社会性があるんだと思っていたりする。
 目が悪くなって、その上体が動かなくなると、「ほんのちょっとの間だけ」と思っていても、結果的には自分が動くまで結構な時間が経ってしまっていたりするんだけれど、そこまで考えている余裕がない。だから、じっと後ろで待っていなくてはならないことも屡々だけれども、そうしたものなんだということを子どもたちにも教えてやらなくてはならない。三世代同居で育つ人たちが減少しているのだから、そうしたことに思いを致す余裕が子どもにも生まれない。これは冗談ではなくて、非常に近い将来に高齢者虐待はもっと増えてくる可能性がある。高齢者と接するチャンスが少なくなって想像出来なくなるのだから無理もない。