ほぼ足りてまだ欲 その先

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こんなことに

 本当のことをいうと、自分がまさかこんなにあっという間に老いるんだとは予期していなかった。
 まぁ歳はとるんだから老いていくんだろうとは思っていたけれど、こんなに一気に来るんだとは思わなかった。
 うちの親父はつるっぱげではなかったのだけれど、とても額が上がっていって頭の真ん中はうすぼんやりしていって実に年寄りらしかったのだけれど、私も気がついたらほぼそのまんまの状態になってきた。
 つまり成る可くして成ってきたのだけれど、まさか自分がそんなことになるんだとは思わなかったから、ある日鏡を見てまさにその通りなんだとわかったときにはちょっと落ち込んだ。
 しかし、落ち込んだところでなにができるようになるのかといえばどうせなんにもできやしない。
 今はわからないくらいに精巧なカツラや植毛法があるんだぞとテレビの宣伝はいやというほどいうのだけれど、それを聴けば聴くほど、うるせぇんだよといってやりたくなる。
 伸助や和田アキ子にいわれてその気になる人の気が知れない。だったら短く刈り込むか、関西の漫才の誰かのように一九分けを売り物にすればいいのだ。ミュージッシャンの中にはニット帽を離せなくなっちまった人だっているけれど、もう良いじゃねぇの、そんなの隠さなくたって。
 今やもう畳の上で食事をするなんてことは辛くて辛くてできないのだ。膝が痛くなってしまうからなんだ。和室しか空いていないと聞いたらいっかな美味しい食べ物屋でも入らない。だから(こりゃ良いいい訳ができた)料亭に上がるなんてことも一切ない(金も一切ない)。だから、旅館で「部屋食です」といわれるとがっかりするのである。大広間だと聞くとぞっとするのである。朝飯はバフェなんだと聞くと喜ぶのである。何とも年寄り臭いのである。
 よくよく自分の手を見るとシワシワである。しかし、幸いなことに老眼鏡を掛けないときはそれすら見えないのだ。
 あっという間にこんなところまで来てしまったのだから、次の段階に到達するのもあっという間だろうと推察するのである。幾らでも時間があるんだと思っていたのは一体いくつまでのことだったのだろうか。いやそんなに昔のことではなさそうだ。50歳になった頃はまだまだ全然大丈夫だと思っていたのだから、こうした状況に気がつき始めたのは僅かにこの4-5年のことのような気がするのだ。