ほぼ足りてまだ欲 その先

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いいわけ

 アジア太平洋戦争によって様々なことが大きく変わった。日本の産業界も大きなダメージを受けたことによってその前後で大きく変わった。戦争中に集約されて管理されていたものが「財閥解体」によってまた分解された。もちろんこれがまたひっくり返って統合されてきていて今やホールディング・カンパニーが復活してきているくらいだ。
 結構企業にとっては分解されたことによってそれ以降は大きな免罪効果が現れていたことに気がついたときは思わず口がふさがらなかった。
 例えば、ある大変に名の知られた日本の超一流企業は1934年に企業合同がされて成立したけれど、終戦後占領中の1950年に複数の企業に解体された。そして1970年に再度合同されて当時の日本では最大級の企業として再出発した。
 しかし、この「再出発」した企業は、その歴史を繋いでいるにもかかわらず解体、合同によって分断されたことによって社会的責任は継続していないというスタンスに立っている。
 そのひとつは戦時中の捕虜使役の問題である。今週の週刊金曜日麻生鉱業の捕虜使役について記事を掲載しているけれど、この記事を読んで最初に思いだしたのが、この企業による捕虜使役についてのかつての見解だった。それは1980年代中頃のことだったかと思うのだけれど、かつて捕虜として日本に捉えられていた連合国兵士のひとりがこの企業に対して発言したことに対する見解だった。
 当該企業は過去の企業体を継承していないので、戦時中の活動については見解を持ち得ない、というものだった。同業者の中にはそのまま合同することもなかった代わりに解体されることもなく、そのまま明治時代から連続している企業があったけれど、同様の事態に関しては非常に困惑していた。なにしろ第一位企業は堂々としらばっくれてしまったのだけれど、次席にいる企業としては全く同様にもかかわらずそんな誹りを受けざるを得なくなる。そこで表明したのは当時の記録はまったく残っていなかったというものだった。
 なにしろ公的機関から全てが当時の記録は空襲等の被害によって損失されており、それを追いかけることができないと表明することによって終わらせることができるという全く美味しいものでしかなかった。
 しかし、この記事にも出てくるように米国の公文書館等の資料を調査するという手法がひろくとられるようになることによってそれだけでは済まないという新しい節目となっている。今から考えるとそんな木で鼻を括った様な態度で許されていたというのは一体どんなことを意味するのだろうか。
 例えば私たちが今北の首領様国家の見解を「本当に国際的に通用すると思っているんだろうか、どうしようもないやつらだ」という感覚を持っている。それでも北の首領様国家の人たちはそれで通用していると思っているんだろう。それと同じではないか。北の首領様が追放されてあの国家・国民が国際的に目覚めたときに彼らが理解できるようになったらまともに議論しようとするだろう。
 本当に調査が行われたら多分現存する数多くの企業が戦時中に麻生鉱業と同様に捕虜を使役していたことが判明するだろう。もし、私たちの国家がより正義に立った見解を自らにも適用することができるようになったとき、とぼけ、無視することのない態度を取ることができるようになったとき、これを悔いるときが来るのかも知れないが、今のところはほぼ、このままなのかも知れない。
 外から見られる国家観、正義感というものは自らが示す見解に基づいているということか。