ほぼ足りてまだ欲 その先

「ほぼ足りてまだ欲」がはてなダイヤリーの廃止にともないこちらに移りました。

 帰りに八重洲のブックセンターによる。恵比寿の本屋さんはすっかりなんだかわからない、いやむしろ子ども向けに特化してしまったようで、すぐさま山手線で東京駅に出る。

対論・異色昭和史 (PHP新書)

対論・異色昭和史 (PHP新書)

 「はじめに」で上坂がこう書いている。「この時期に話し合っておかなければ、私も鶴見さんももう話す機会がなくなっていたかも知れません。そう思うと、間に合って本当に良かったというのが正直な感想です。」上坂冬子は本年4月14日に死んでいる。
 彼女のデビュー作は「思想の科学」から賞をもらって出ているのだけれど、この対談を読み進むうちに鶴見に比べて彼女の思想の大きな違いは、現実的といえばそういえるのかもしれないけれど、そこには「理想」というものが欠落しているのではないか、という気がしてきた。例えば、やられたらやり返すのは普通じゃないか、というのでは「高邁さ」というもののかけらも存在しない。
 どうもこの私が彼女に対して抱く感情はかつてどこかで、いらいらしながら、それでもこうした感情を持つ人というのはどんなことがあったとしても頑としてその基準を見直すつもりもない、という状況を見てきたような気がする。それがどこで相手は誰だったのかを確実に取り上げることができないけれど、あちこちで出会ったような気もするのだ。
 張作霖爆殺の首謀者といわれる河本大佐についても戦後(1965年頃?)その娘達と旧満州に旅をしたときに河本が娘に出した手紙を見て河本大作、とんでもないと一概に言えない、などと発言している。この種の価値観というのは公的人間としての歴史上の人物の評価から大きく逸脱しているもので、誰でも、どんな人でも自分の幼い娘に対して良き父になるに決まっているのであって、それを歴史的に語るときに持ち出すのはまったくもって「ずれて」しまっているのに。孫娘の祖父への想い出発言によって東条英機への価値観を変えてしまうようなものだ。
 鶴見俊輔は戦争前にハーバードに行っていて交換船で戦中の日本に帰ってきた。負けるのはわかっていたけれど、負けたときに負けた母国にいたいという気持ちだと、「日米交換船」の中でも語っていたが、上坂はそれが理解できないらしい。私にはこうした感覚を持っていた鶴見の心情がわかる。うまい例が見あたらないけれど、どうせなら見下す位置ではなくて見下される立場に肩入れしたい、という気持ちに似たような話といっても良いかも。
 鶴見は戦後アメリカに足を踏み入れていない。戦後すぐにスタンフォードから来ないかという話があったのだけれど、神戸の米国領事官が許可を下ろさなかったのだという。一度自分を拒否した国には二度と足を踏み入れない、というのだ。鶴見らしい話だ。
精神科医がものを書くとき (ちくま学芸文庫)

精神科医がものを書くとき (ちくま学芸文庫)

 友人が勧めていたので、やっぱり手にしてしまった。
季刊『at(あっと)』15号

季刊『at(あっと)』15号

 戦後、賀川豊彦は忘れられているという一文を読んで、なるほど、私も名前は知っているものの、彼が如何なる人物かについてきちんと向き合ったことはないと気がつく。


断念したもの

増補 皇居前広場 (ちくま学芸文庫)

増補 皇居前広場 (ちくま学芸文庫)

国民の天皇―戦後日本の民主主義と天皇制 (岩波現代文庫)

国民の天皇―戦後日本の民主主義と天皇制 (岩波現代文庫)

理由:金がない。