ほぼ足りてまだ欲 その先

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NHK

 私は一時期NHKの視聴料支払いを拒否していたことがある。それも自分が働いていた会社の社宅にいて、玄関扉に「NHKの視聴料支払いを拒否します」と書いた札を貼りだしていたという跳ね返りぶりだった。今から35-6年前の話だ。当時、NHKは渋谷に客席数3601という大型NHKホールを建設し、その建設費用が莫大だったことからその建設予算について論議があり、(もうそれが幾らくらいの建設予算だったのか記憶にないが)私は反発して、その札にその旨記載した。そんなことをしてもそれは徴収に来た職員の人が迷惑するだけであり、そんなものはNHKに対してなんの痛手にもならない戦略であり、無意味だと全国的論議にもなった。
 ではなんでその視聴料を払うことになったのかというと、実は非常に柔な話で、雇われていた企業で、広報担当になり、NHKの取材にフロントラインとして接することになったからだ。なんとひ弱な視聴料拒否運動だった。当時NHKの経済部の記者として現れていたのが前高知県知事だった橋本大二郎や、竹下亘を含むはなはだ堅実な取材陣だった。派手でもないし、抜け駆けに走るタイプでもなかった。
 今、大相撲の横綱審議委員である海老沢が会長だった当時のNHKにははなはだ問題があったとわたしは今でも思っている。経営陣のレベルにも問題があっただけではなくて、番組製作現場でも例の政治家による番組編集への介入問題が発生した。
 当時は局内の様々な不正事件が次々に発覚した。おかげでそれでなくても視聴料の徴収率が下がっているところに来てより不払い者が広がった。体制を変革するんだといってきたものの、なかなか浸透はしてこない。
 しかし、近頃私の目にはドキュメントに大いに力を発揮してきているNHKの姿が映る。民放でも確かに地道な取材をこつこつと続けてきているグループは存在する。例えば日本テレビ系列の「NNNドキュメント」シリーズでも、TBS系列の「ドキュメント・ナウ」でも、淡々と伝える姿は好感が持てる。しかし、いかんせんスポンサーがあっての民放ではどうしても限界がある。ネットカフェ難民という言葉を世に出した水島宏明の話を聞いていてそれは強く思った。民放のこうした地に足のついたドキュメントは何度もいうけれど、その放送時間を見てみると、あたかも世に隠れながら放送しているかの如きで、前者は日曜日深夜だし、後者も月曜日深夜である。民放の最大大手スポンサーと思える自動車産業、家電産業が最も労働者派遣法の改悪で美味しい蜜を吸ってきたことは明確だからである。
 NHKのドキュメント番組には見るからに金がかかっている。テーマの裏を取る、あるいは外国ではどのように対応しているかを取材するためにどんどん取材しているのが番組を見ていても良くわかる。これは民放にはなかなか難しい。
 かつてテレビ東京の経済部の人間と話していて、ニュースの中の画面でも、NHKは必要とあればすぐにヘリを飛ばして映像を挿入するけれど、うちには「資料映像」を流すくらいしかできないと聞いたことがある。その差は歴然だ。
 しかもNHKは今ではBSも入れたら私はテレビだけで5チャンネルを見ることができる。それだけの枠があるのだから、必然的にドキュメントを放映する枠がある。「NHKスペシャル」を筆頭に、先日湯浅誠内橋克人の対談を見せてくれた「ETV特集」、「戦争証言プロジェクト」、「ハイビジョン特集」、「百年インタビュー」、「BS世界のドキュメンタリー」、「証言記録・兵士たちの戦争」、始まったばかりの、「EXIT〜アメリカ・更生学校の10週間」なんていうのもある。そして毎日19時のニュースのあとには「クローズアップ現代」があって毎回かみ砕いて解説している。今年は来月から「ドキュメント 20min.」が若手制作スタッフによって作られるといっている。数え切れない。
 NHKのこうした番組が、あたかもなにも知らない一般民衆に如何にも俺たちはこんなに知っている、わかったか、といっているように聞こえて鼻持ちならないという人がいるらしいこともようやく聞こえてきた。
 こうして書いているくらいだから私は全くそんな捉え方をしていない。自分が勉強した分野のテーマのドキュメントを見ていると、まだまだ踏み込みがたらないぞというものもあるし、良くここまで聴きだしてきたな、と思うものも充分ある。なによりも私が足を運びたくても運ぶことのできない現場から調べてくるものを提示されると、なるほどと納得できる。多くの先達の話を取り上げているところもライフヒストリー的に積み重ねているといって良いだろう。この分野ではNPO「昭和の記憶」がごく普通の市井の人の聞き取りを重ねていて大変貴重だと思っているが、この分野はNHK国立公文書館と共に足並みを揃えて、歴史上の人物について纏めると云うことができそうだ。
 しかし、だからこそ、この放送局は事実を事実として記録していくことが求められていて、公的機関が発表した事実のみを事実として国民に伝えていくのであってはその当の国民から視聴料を徴収して制作している意味がない。また、他の民放のように吉本に丸投げしたようなアチャラカ番組を提供していては意味がない。そんなのはあっちで幾らでもできるのだし、そうしたアチャラカで国民の目をそらすことによって安定を図ろうとするかの如き、江戸時代の安全弁祭の如き番組編成に堕してしまってはそれこそ私たちは視聴料の不払い運動を起こさなくてはならないのだろう。
 事実を事実として記録していくという大原則を守ろうとする体制が圧力によって屈しそうになるとき、私たちは声を上げなくてはならないだろう。
 NHKは高飛車に国民を見ているだろうか。