ほぼ足りてまだ欲 その先

「ほぼ足りてまだ欲」がはてなダイヤリーの廃止にともないこちらに移りました。

天丼

 本当のことを云うと本屋に行くのがついでだったのか、こっちがついでだったのかわからないのだけれど、ここ二三日天丼を食べたいという気持ち押さえがたく、ブックセンターから銀座に歩き、三州屋は横目で見ながら通り過ぎ、SHIPSは今や何軒もあるんだなぁと確認しつつ、山野楽器2階-3階を経て松坂屋地下一階の天一のダイニング・インに一目散。
 9席あるカウンターには奥に着物をお召しのおばさまが二人、手前の奥におじさんがひとり。こいつが真ん中の席に鞄なんておいてやがってブロックしている。後から人が入ってきてもどかすつもりもない。こういう人からは鞄一個分の料金を取りたいくらいだ。そして正面には、なんと白人の50歳くらいのおばさんが中学生年齢の男子を二人連れて座っておられるのだ。喋り具合、そしてこの時期に学校が休みと云うことから考えると多分オージー一家である(と決めつけちゃう)。お母さんは日本に慣れている。そうじゃなきゃこんなところに入っちゃ来ない。
 こっちは全く気になっちゃいませんぜという風情で今買ってきた本に目を落とす。奥の角におばさまがお一人で来られる。この時点で空き席は鞄が乗っているそこだけである。にもかかわらずこいつはまだ鞄を降ろさない。
 そのうちその家族の元に赤だしと天丼が運ばれる。そもそも赤だしを頼むところがもう既に慣れている証拠だ。ここは別に頼まないと赤だしがつかない。私はけちって頼んだことがない。しかもここの勘定が外払いだと云うことを知っている。ひょっとすると在東京なのかも知れない。どこから来たの?といつもだったら平然と聞くのだけれど、今日は面白いから自分の推測だけをして楽しんでいた。
 西欧文化と私たちの東アジア文化との食事作法の徹底的な違いは、彼等は器を手で持つと云うことをしない。あえて云えばスープを食べる時に傾けるくらいか。見ていると家庭でも左手を下に置いておけと云われる。私たちは左手(右手遣いの人の場合)で器を保持しないで食べると「左手はどこいったんだっ!」と叱られたものだ。しかも、器に直接口をつけて汁物を飲むと云ったことは彼等はしない。
 だからこの一家も丼に手を添えることをしないから食べにくいことこの上ない。ゴトンと動いたりなんかしてこぼしやしないかとひやひやする。
 そこに私が頼んだ天丼がやってきた。いつもの私のやり方だからまずカメラを取り出して箸をつけない天丼をマクロと普通で二枚撮る。私は目がモニターにいっているから見ていないが、多分彼等は目を丸くしたことだろう。(オイオイ、日本人は食いものにまでカメラを向けるぞ!)。
 彼等は漬け物には一切手をつけない。挙げ句の果てにはかき揚げの中に入っていたインゲンを避けてしまう。私は一心不乱に希求していた天丼に集中する。彼等が立って出て行った後を見るとご飯はぺろっと残っていて、上の天ぷらだけを食べていった。そうか、そう来るのか。そうだったのか・・・。
 山野楽器でガブリエル・フォーレでなにか買えないかなぁ、それともジャズの若手女性ヴォーカルで何かないかなぁとうろうろしたけれど、何も手を出さず。おおよそ3800歩だったのに、なんだか一生懸命遠出をしたような気がした。