ほぼ足りてまだ欲 その先

「ほぼ足りてまだ欲」がはてなダイヤリーの廃止にともないこちらに移りました。

物を書く手だて

 《写真:とうとう我慢ができなくて「泰明庵」の魚天丼を食べた。でも気にしているのでご飯を残した。あれで、天つゆがもう少しかかっていたら食べてしまったかもしれない。》
 私は物を書くのに殆どパソコンを使っている。というより家にいて何かを書こうとする時には必ずパソコンの前にいる。四六時中ではないけれど、出先に小さなパソコンをもっていくこともある。なんでパソコンを多用しているのかというと修正が容易という点が最優先される。なにしろそんなに一気呵成に精査された文なんて書けない。このブログなんかに至ってはそのまま書き殴っているからあとから見たら意味不明、前後逆転、二重表現なんてことがあちこちにあってその度に修正にかかったりしている。
 しかし、パソコンを取り出してパシャパシャやるにはちょっと違和感があるところでは、手書きする。そんな時のために出掛ける時に袈裟懸けに背負っている黒い鞄の中には文具類を入れた袋をもっている。その中には万年筆、ボールペン、シャープ・ペンシルの類が入っている。そしてなんでも帳。
 どうも風潮としてパソコンに頼って物を書いているのはお先っぱしりの軽佻浮薄ものという雰囲気がないことはない。「私は今でも原稿は万年筆を使っている」とお書きになる方はそれほど稀ではない。そしてみなさんとても大事に使ってきている万年筆を必ずお持ちだったりする。私はそうした筆記具がきらいじゃない。できることならあの万年筆が欲しいなぁ、さぞかし書きやすいんだろうなぁと思う万年筆がない訳じゃない。
 だけれども、世の中は随分と発展していて、昔だったら割と大きな紙にキーワードを書いてそのつながりをメモしながら結びつけて、なんてことをやっていたのが画面上でやることのできるソフトだってできている。私はOMNIアウトライナーなんかを使っているんだけれど、嬉しいことにバージョンがアップされるとフリーでそれに対応してくれたりする。
 問題は日々時間が経過するに従ってこちらの目がどんどん遠くなることで、画面表示を大きくすると全体像がはみ出していってしまう。こうなるとモニターを大きくするしか方法がなくなるわけだけれど、そうそうそこにお金をかける訳にはいかなくなる。とすると紙の上で書いていた方が振り回しやすいということにもなりかねないのかなと思ったりするんだけれど、やっぱり簡単に書き換えたり、簡単に増やしたりできるこの便利さには換えられないのだ。
 こういうツールの多用がどんどん文章を垂れ流しているということに繋がるのかもしれないけれど、少なくとも昔よりは文章を書くということの壁、そしてそれを発表するということの壁が低くなってきていることの方が意味があるというべきではないかと思う。