ほぼ足りてまだ欲 その先

「ほぼ足りてまだ欲」がはてなダイヤリーの廃止にともないこちらに移りました。

鹿芝居

 毎年2月の国立演芸場の中席は「鹿芝居」と決まっている。噺家がやる芝居で、「しかしばい」という。即ち、芝居には素人の落語家によるお芝居。昔は物書きがやる「文士劇」なんてものもあったけれど、今やとんと聴かない。
 メンバーは毎年同じで今の金原亭馬生の一門とその仲間という感じである。演題は毎年なんらかの落語を元にやるのだけれど今年は「死神」だというので、あの噺をどうやって芝居にするのかと思った。始まると様々な落語の中の一部を上手い具合につなぎ合わせたというもので、一体誰がこれを創ったのかと思ったら、なんと林家正雀さんだという。なるほど、そういえば先月の南座の「双蝶々」も正雀さんの脚本だ。
 芝居の前に、それぞれの高座があり、そしていつものように世之介と菊春の獅子舞があって、その両方から頭を咬んでもらえたのは嬉しかったなぁ。

高座

 弁当をデパートの地下で買って急いで駆けつけたのに、到着してみたらすでに前座が始まっていた。めくりが女性の前座だった。あの人は誰?

  • 古今亭志ん坊:1980年生まれ。29歳。早大文卒。前座になってようやく2年。志ん橋門下。「無精床」
  • 金原亭馬治:1977年生まれ。馬生門下。「牛ほめ」
  • 金原亭世之介:1957年生まれ。馬生門下。確かに宮崎美子に似ている。当代市川團十郎、七代目中村芝翫中尾彬立川談志の物まね。実に彼は毎度のことながら巧い。
  • 古今亭菊春:1954年生まれ。圓菊門下。毎回の三枚目役が実にはまる。あれ?なんの噺をしたんだっけ?
  • 蝶花楼馬楽:1947年生まれ。先代馬楽門下。いつもの番頭さん役がはまり。ケチ噺を集める。
  • 林家正雀:1951年生まれ。8代目林家正蔵(のちの彦六)門下。落語界きっての歌舞伎通。今芝居噺をやらせたらこの人の右に出る人はいないといって良いだろう。「持参金」
  • 金原亭馬生:1947年生まれ。木挽町出身。「干物箱」

鹿芝居:「死神」脚本:林家正雀

  • 死神への三番:金原亭馬生(客席の後ろから登場!「死に神と握手すると長生きします!」
  • 山崎屋女房お政・蝮の三次:林家正雀(二役早変わり。さすがだ。)
  • 若旦那松之助:金原亭世之介(死神から教わるまじないが毎日変わるそうで、苦労を強いられる。)
  • 小僧千吉・亀吉:金原亭馬吉(いつものことながら、小僧をやらせると巧いねぇ!)
  • 山崎屋幸兵衛・弥七:金原亭馬治
  • 娘お光:林家彦丸(正雀の弟子) 
  • 娘お糸:古今亭菊春
  • 番頭:蝶花楼馬楽(馬楽が正雀を笑わせて、正雀は得意の台詞が出てこない!)

 馬生の弟子馬吉は何しろ芝居が巧くて、この鹿芝居には今や欠かすことのできない役者となっている。志ん坊は黒子で出演。正雀の弟子、彦丸が娘役で出てきたんだけれど、これが実にあでやかで、客席のあちこちから「あれ、誰だよ?」の声。
 何しろ私たちは一番前の真ん中で、高座に座っている方が喋っているのが私の真ん前という、実に何とも恥ずかしい。向こうが出てきてお辞儀をすると、こっちもお辞儀をしなくちゃ申し訳がないようだ。
 お隣にお爺さんがお一人でおいでで、仲入りで私たちが弁当を拡げると「ここで食べても大丈夫?」とお訊きになる。「大丈夫ですよ」とお話しするとやおら大きな弁当を開けられた。この方世之介が決まると「よのチャン!」とお声をかけた。
 撥ねたあと、いつもの様に出演者がロビーでお客さんをお見送り。正雀さんのところにいって「先月南座にお邪魔しました」とお伝えした。馬生師匠には「来月またお逢いしますよ!」とひと言お伝えして辞する。

歩く

 毎年この時期には国立劇場から京橋まで歩く。今日はとにかく時間がたっぷりあるので、ランナーが後から後から走ってくるお堀の縁をこちらはデレデレ、だらだら歩く。いつもだと桜田門から日比谷の交差点に出てしまうんだけれど、今日は桜田門の中に入り、二重橋に抜ける。二重橋までやってきたのは一体いつ以来なんだろう。全く思い出せない。
 二重橋まで来るとわいわいと人だかり。後から後から団体さんがやってくるんだけれど、そのほぼ95%が中国語の団体さんだ。すごいねぇ。話には聴いていたけれど、そして銀座に出たら分かるんだけれど、これほどとは思わなかった。国土交通省観光庁としてはみんなで西方に向かって土下座しないとならないなり。
 そこからまだまだ北上。桔梗門方向にやってきて突っ切ろうとするとどうも閉鎖されているようにも見えたりするんで、そこにいた巡査にこのまま突っ切れるかと聞くと「えぇ、いつもだったらよろしいんですが、皇后様がお帰りになるので向こうまでまっすぐ行っていただけないでしょうか」と随分と下からの仰り様。えっ!ミッチー(不敬罪で捕まっちゃうか)が!ってんでそんなものは大歓迎でございますよ。桔梗門から和田倉の噴水に渡る手前でなんだかんだと時間をつぶし、しばらく待つうちに時間ぴったりに白バイと黒塗りで警報灯を屋根につけた車数台に守られたセンチュリーがなんと窓を開けて入ってきたら、それが皇后さんだった。しかも中で手を振っておいでである。もう高齢なんだから私たちなんかに気を遣わないで、すーっとお入りいただきたい。どうぞお気遣いなくと。
 AIUのビルの横の建設中だったビルが外観はすでに完成。中では工事が進んでいるらしい。このあたりはもうにょきにょきと見慣れないビルが軒並みで、東京海上(あ、これだってもう東京海上日動って名前になっている)の二つのビルがかつてはあたりを睥睨していたのだけれど、今や見下ろされている状態だ。丸ビルは入ったことがあるけれど、新丸ビルは入ったことがないてんで一階を抜けることにする。
 一階に「CA4LA(カシラ)」という帽子屋さんがある。どうやら原宿に本店があるらしいけれど、どうも見たところそのターゲットは若者かもしれない。そうかと思うとボルサリーノなんかのソフトもある。今の若い人たちはこんなところに買いに来るのかねぇ。そういえば三菱地所は丸の内をオフィス街にとどめておきたくないといっているんだものねぇ。だからいろいろなイベントをやっているらしいもの。三菱地所は昔の三菱地所じゃないから昔のものはどんどん捨て去ろうとしているんだろう。そしてこれまで手を出したこともない地域にまで手を出そうとしている様に思える。私は実は彼等の罪はかなり重いと思っている。
 ようやく京橋に辿り着いたら、さすがに疲れた。ちょっと呑んだらすっかりぐるぐる回ってしまって早々に退散。