ほぼ足りてまだ欲 その先

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きっかっけ

 近年正式な所属元ってものを持たない、完全フリー状態にあるわけだけれど、時々何かの申し込みとか、パソコンソフトの登録なんてことをしようとすると、「所属」だなんて項目が必ずあって、まぁ、私の場合だったらその所属を埋めることができない。敢えていえば「なし」と書くくらいだろうか。これが実に何となく「無頼漢」になったような気がするものなんである。あ、もう「無頼漢」なんて変換ができなくたって良いですよと日本語変換ソフト、うちの場合だと随分長いことATOKだ、にいってやりたくなる。その辺でふらふらしているというニュアンスがあって良い。
 あぁ、もう今日なんて会社なんて行きたくねぇなぁと思って電車を待っている時に反対側のプラットフォームに到着した電車から、ふらふらっと降り立つ兄ちゃんやら、婆さんやらを見ては、あぁもうこのままどっかに逃げちまうかなぁと思ったもんだったけれど、そんな勇気もなく、足を引きずりながら会社に向かったものだ。そんな気持ちを察するなんてことがあるわけもなく、人の神経を逆なでするような上司のひと言でまたまたどこかに行きたくなったものだ。
 ところがいざこうして、さぁどこへでもいつでも好きなようにお出かけなさいよ、となってみるとなかなかきっかけというものがない。どこへ行っても良いようなんだけれど、意外とそうもできない。何をやっても良い筈なんだけれど、手が出ない。まぁ、先立つものの心配があるというのもその理由の一つではある。若い時は金がなくても仲間と一緒に平気でどこかにぶらぶらしていたじゃないか、あれと一緒だよといわれたって、あの頃はひょっとして何か面白いことが起きるかもしれないというドキドキ、ワクワク感がもれなくついてきていたよ。今、例えば私がひとりで俄に思い立って横須賀線に乗って鎌倉に行ったと思し召せ(あ、この言葉も随分と使わないね)。まったくの話、なんもない。大仏さんを見て、江ノ電に乗って浜辺にでても、江ノ島に行ってサザエの壺焼きなんか、醤油の匂いに誘われて食べたりしたら、なんだ、随分と高いもんだなぁと思って砂浜の写真を撮って帰るだけだよ。
 友達のイベントの手伝いなんかやったりしてきたけれど、昔だったらここで客受けしてひと盛り上がりしようじゃないかと意欲満々だったりするんだろうけれど、今やここで盛り上がっても別に何が待っているわけじゃないしとやたらと後ろ向きだ。
 こうして考えてみるとひょっとしてそのうち寝ても覚めても、家の中にいるだけで人生が終わってしまうのではないかという恐怖感がある。あ、いや恐怖感というよりはその時は自分ではそれで何がいけないのかと思っているんだろうから、恐怖に感じないのか。う〜む、複雑だ。