内田裕也が死んだと思ったら、萩原健一が死んだ。永年闘病をしていたらしい。
浪人をして大学に入った時に、同じクラスに永井というやっぱり浪人してきた奴がいた。クラスの中に浪人経験者が10人ほどいて、その連中は不思議なことにすぐにわかった。何か、それっぽい匂いがする。平気でポケットからたばこを取り出すとか、そのまま神田の靖国通りの裏あたりを歩いていても不自然さがないという格好をしているというべきか。その永井が小汚いトヨタパブリカで学校へ来ていたのだけれど、奴はスポーツバッグからピーカンを取り出しながら、テンプターズというバンドは大宮でやっていたバンド二つを統合して出来たバンドで、その片方のバンドにいたんだといっていた。どこまで本当かわからない。
そいつに誘われてサークルに加わって、私のバンド趣味は今に至る。未だにGSばかり唄っている。今や昭和歌謡バンドが随分増えてきているんだけれど、GS専門バンドはそんなにはいない。なんでかか。男ヴォーカルのバンドは色気がない。しかも、オンタイム世代だから爺さんばっかりだ。それでも中条きよしや高田純次みたいな、ちょい悪系の様子の良い爺さんなら良いけれど、ダニー・デ・ヴィートじゃ、受けないっていうんだよな。そりゃそうだろう。
あ、話はそこじゃない。当時、つまり1960年代後半にあんなバンドがらみの世界に身を置いていた連中に真面目な連中がいるわけがない。落ちこぼれちゃった、あるいは落ちこぼれざるを得ない境遇に生まれたら、あとは丁稚奉公に出るくらいしかなかった訳よ。だから初期のバンド連中のほとんどは米軍の倶楽部あたりでろくに弾けない楽器を抱えてごまかすか、それをやっている連中の下働きなんかに身を置く訳よ。学校の成績なんて関係ないし、ひょっとするとひょっとする訳よ。
だから、エレキなんかやる奴は不良だ!といわれても無理はなかった訳ね。よっぽど恵まれた環境に生まれて、楽器が出来た人、よっぽど落ちこぼれちゃって、下働きをしていた人たち、というのがあの当時の日本の音楽シーンの担い手のソースだったような気がする。
今でも全員が生き残っている売れたGSというとヴィレッジ・シンガーズくらいのものじゃないだろうか。