ほぼ足りてまだ欲 その先

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幼なじみ

 私がガキの頃からの幼なじみといったら多分あいつだけだ。それこそ小学校に入るか入らないかの頃から「広場」でいつも遊んでいた子どもたちの中で、社会人になってからのことを知っていたのは彼しかいない。なんでそんな仲だったのかというと、私はうちの子どもの中で一番歳下の唯一の男だったが、彼は男二人兄弟の上だったからだろうか。
 小学校4年生の二学期に私が静岡に引っ越すまでは、なにかといってはお互いの家の間を行ったり来たりしていた。中学で帰ってきてからも学校が離れていたから疎遠だった。
 ところがそれぞれ別々の高校に入ってから、同じ英語塾に行き始めたあたりからまた距離が近づく。それが徹底的に繋がったのは浪人してからだと思う。私は水道橋、彼は原宿だっただろうか。ところが予備校に行く振りをして家を出てはどこかの喫茶店でそれぞれの友人たちと駄弁ったりした。
 大学も別々で離れていたけれど、彼の大学に私の高校の同級生がたくさんいて、彼はそっちとつながりができてきた。彼が就職したホテルは私が働いていた会社の隣にあって、なかなか付き合いは復活しなかったのだけれど、ある日連絡が取れたものだから、二人で六本木で痛飲した。どうも彼はその辺りに入り浸っていたようだ。
 彼は私なんかよりなんぼか早く結婚し、子どもをもうけていたんだけれど、なんだか喉の渇きをどうにかしたいと思っているかの如く遊び続けたらしい。どうやらその辺から彼を読めなくなっていった。彼が転職してから一度彼の職場のすぐ横で仕事をしたことがあって、声を掛けて昼飯を一緒にしたんだけれど、全く心ここにあらずという雰囲気だったのが気になった。
 うちの親父が死んで、通夜も葬式も終わったその日の晩に、奴から珍しく電話があった。今から呑みに出てこいよ、というのである。いくらなんでも葬式のその晩にはそんな気になれなくて断ったのだけれど、結果的に私が彼の声を聞いたのはそれが最後だった。
 それから数年後、私が日本を離れている間に、彼の訃報を姉が知らせてくれた。ところが死因がよく分からない。判然としない。
 日本に帰ってきてから数年経って、彼の親父さんが亡くなったという知らせがあって、戸塚からタクシーで走って葬儀所に行った。彼のお袋さん、弟、浪人時代に遊んで貰った彼のおじさん一家。様々な人に数十年ぶりにお逢いした。その晩呑みながら彼の弟がぽつりと彼の転職は退職金が目的だったんだよ、と聞かされた。
 あの時昼飯を一緒に喰った時、もう既に相当困っていたのかもしれない。
 高校ぐらいから、彼はいつもなにか鬱積しているものを心に持ち続けていたのかもしれない。なにかいつも自分の気持ちと実態のその差にいらだっていたんじゃないかという気がしないでもない。