twitterで西豪州在住の方が「日本は豪州より祝日の数が多い」と書いたから「日本にはシック・リーブ、つまり病気有給はないし、年間にまとめて数週間休む習慣もない」と書いたらとてもびっくりされていた。まとめて数週間の休暇についてではなくて、病気有給休暇がないことになんである。
つまり豪州(だけではないのだけれど)は仕事を休んでリラックスすることと、病気になってしまって仕方なく休む、ということとは別物と考えているけれど、日本の場合には理由のいかんを問わず休むということは職場に負担をかけるということで、そのための手当は自分でリスクを負担しながらだということだ。だから毎年もしもの時のためもあって有給休暇を全部消化するには至らない。
これは高齢者がもしもの時のためにいつまでも持っているものを消費する動機を持ち得ないのと同じで、抱え込むということになる。
よそから持ってきた制度がいつまで経っても本来の意味を持つに至らないという典型かもしれない。有給休暇を取ることは本来的には「悪」であるという価値観にある社会、文化と、そのために働くのだ、という価値観を持つ社会、文化とでは共通の地盤には立ち得ない。
そういえば日本が今の中国のような状況にあった頃、西欧社会から「同じルールの下で競争しないのでは話にならない」と批判されたことを想い出す。でも、今の中国に対してそんなことを云われているのだろうか。中国元の切り上げ圧力は大きいものがあるけれど、文化的な否定を取り上げられているように感じられない。
そこには西欧連合諸国にとってのこの百年来のイメージがあるのだろうか。
(あ、いやいや、つまりね、同じことをやっても日本がやると“だまし討ちの卑怯者”というイメージを未だに持たれていて、中国だと“日本にいじめられた可哀相なアジア人”というイメージがある、というものなんだけれど、当たってないかなぁ・・)