8月のこのあたりというのは本当に良い想い出がない。小学校の頃から高校に至るまで、本当に。なにしろぎりぎりになるまでなにもしないという生活をもう既に60年以上過ごしてきてしまったのだから、この時期はいやな話ばっかりだ。
その辺の木ぎれを拾い集めて釘で打ち付けてなんだかわからんものを造って学校に持っていった工作の宿題とか、プラモデルの「飛燕」をそのまんま出しちゃった小学校6年の工作とか。
その中で、劇的に変化したのは絵日記だろう。なにしろ毎日こつこつとなにかをやるなんてことが続く訳のなかった私だったので、毎年絵日記には苦労した。なんかやっつけに書いちゃえ、はどうにかなるにしても、天気は調べなきゃならないし、なにしろヤバイのはなにか絵をやっつけなきゃならないってところだ。最後の最後まで残る。当時のものはなにも残っていない。まるで、家が火事にでもなったかの如く、何も残っていないのである。
ところが、高校に入ってからだろうか。毎日毎日、これでもかというくらいに日記を大学ノートに万年筆で書いていた。それがこのブログというシステムをある人から紹介されてからというもの、正にぴったりとはまってしまったのだから、世の中何が起きるかわからない。
しかし、その裏にある要因は変わっていないような気がする。要するに、この辺は「現実逃避」がその主たる動機になっているということなんである。私にはこれさえやっていれば、現実から逃げ切れちゃうんだろうなぁ、きっと。すたこらさっさと。