ほぼ足りてまだ欲 その先

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実刑

 収賄罪と議院証言法違反(偽証)に問われた元防衛事務次官守屋武昌被告(65)は27日付で上告を取り下げた。懲役2年6月、追徴金約1250万円が確定され、守屋は近く収監される(毎日新聞 2010年8月31日 20時05分)。
 執行猶予を求めて上告をしていたが、取り下げたのだそうだ。彼は当時の政権から見捨てられたと云って良いだろう。見捨てられていないのはいくらもその辺を跋扈していて、天下り先を2-3軒渡ってがっぽり手にしている。かつて社会保険庁幹部を務めた連中の中の誰が、さんざん使い果たして、積み立て方式をぶち壊してしまったのか。誰ひとり責任をとった奴はいないじゃないか。検察がやらなかった、自公政権から美味しく見られていたということに過ぎない。守屋のあの人を馬鹿にしたような対応のフィルムを何度でも彼が収監されている間に見させてやりたい。なんだか刑の重みと国民をあれだけ馬鹿にした態度とが精算されない。つまり、どんなことをやったとしても、こんな程度で済むということなんである。おかしくないか。
 キチンとしたことをやってきている霞ヶ関の官僚も数多く存在するんだという声も知っているし、そうであって欲しいと思う。しかし、これまで生きてきた人生の中で「あぁ、これは凄い!これで国民は本当に救われる」と思った法案を見つけ出し得ていないことを、どう理解したらよいというのか。
 必ず中途半端なものしか作られていない。もしそれが「馬鹿な政治家」が干渉するが故であったのであれば、なぜそうした声が表れてこないのか。公僕という言葉はもうこの国には存在しないのだ。