ほぼ足りてまだ欲 その先

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書き込みが自筆だったら

 え〜っと話は古いところから始まる。昭和60年、つまり1985年頃の話。当時、やたら先進的に予算を使えた私の職場には早くもIBMの5550が配置されて、そこにワープロが入っていた。当時、毎月一本たかだか1頁の原稿を書かなきゃ成らなかったのだけれど、それまで原稿用紙に書いていたものをある日からそのワープロで書いた。原稿は元新聞記者だった上司に添削して貰っていた。
 そのワープロ原稿を出したら、その上司が「どうも活字になっているのって、手を入れにくいなぁ」と仰るのだった。その職場で私は最年少だったものだから、直ぐにそんな機械に飛びついたのだけれど、先輩方はそれを軽々しい奴だと苦々しく思っていた雰囲気だった。
 さて、それでだ、ネット社会ではもうすでに誰もがどんなキャラクターを持っていようが、バックグラウンドがどんなであろうが、書き込みは全部当然ながら活字の体裁で表現されるわけである。これが、もしも、自筆の字で表されるとしたら、どうだろうか。汚く書き散らかしてある書き込みだったら積極的に読もうという気にもならないだろうし、墨痕鮮やかな書き込みだったら、どんなに中身が意に沿わなくても読むかも知れない。見た目が均一であるが為にごまかされちゃうというのもあるわけだよなぁ。
 どうしてそんなことを思ったのかというと、twitterのタイム・ラインを読んでいて、バックグラウンドがとてもまだ狭いんだろうなと覚しき若者が、ちょっと経験すると直ぐにわかるであろう事を知らずにこれ見よがしに書いているのを見付けて、あぁたぶん彼が自筆で書いていたら、その辺についてすぐに思いつくかも知れないなぁと思ったからでもある。