ほぼ足りてまだ欲 その先

「ほぼ足りてまだ欲」がはてなダイヤリーの廃止にともないこちらに移りました。

よくわかんないのだけれど

 evernoteっていったいなんざす?説明を読んでもわからない。

 ま、そんなことはさておいて(あ、いや、本当にわからないので、ご存知の方はどうぞご教示賜りたく)、今日は二週間に一度の新宿でお話をお伺いできる日。いつも以上に早く家を出てあと少しで3本前の電車に乗れたのに、それをすんでの所で逃し、トイレに行っている間にもう1本逃し、結局いつもより1本早いのに乗れただけだけれど、これは実は重要な意味を持っている。
 乗り換え電車の大江戸線の一本早い奴に乗れるのである。こうなればいつもよりよい席を取れるんじゃないかと勇躍いってみると・・とっくのとうに荷物が置いてあったりして結局端っこにしか席を見付けられなかった。皆さんは一体全体何時にこちらに到着されているのやら。
 今日はチャーチル(Sir Winston Leonard Spencer-Churchill)の話である。彼には「Second World War」という自著があって6巻にもわたっているそうで、これは壮大なものだ。日本では河出文庫から4分冊になって出ている。実は不思議なことに彼はこれで1953年にノーベル文学賞を取っている。どういうことなんだろうと考えてしまう。それでも平和賞でなくて良かったなといいたいところだ。

第二次世界大戦〈1〉 (河出文庫)

第二次世界大戦〈1〉 (河出文庫)

 彼が日本をどう見ていたんだろうかという話になるけれど、彼はこの「第二次世界大戦」の中で「日本は原子爆弾で負けたんではなくて、米国の海軍力に負けた」と書いていてあたかも広島、長崎の原爆東華を非難するかのように語るが、米国に、独軍原子爆弾開発情報をもたらして急がせたのは彼だともいわれているかのようだ。
 保坂は今「アメリカと戦争」もしくは「戦死とアメリカ」を読んでいるそうで(タイトルをしかと思い出さないそうだけれど、それは私にとっては良くあることである)、南北戦争から今に至るまでの米国の戦争についてレビューをすることによってアメリカという国の戦争と死について語られているのだそうだ。日本についても、若い世代が日清戦争から始まる戦争とそれにまつわる死の考え方について壮大な本を書く人がいてもおかしくないだろうという。特に日本の場合はそこに靖国が当然絡んでくるだろうし、英国人が妙に関心を寄せるという特別攻撃隊の死についても語られるだろう。
 それにしても、チャーチルから見た日本は当時ただドイツ軍に従っていく一国家としか映っていないらしいし、ドイツが敗れれば日本が負けるのも時間の問題だったのだという程度にしか見られていないという。
 ま、そんなことで帰りには直ぐさま近所のBookFirstに入って上述の二冊の本を見付けた。
 ところで、今日は本屋に入っても魅力的な本が見つからない。昨日の神保町の古本まつりからの状況がそのまま続いている。