ほぼ足りてまだ欲 その先

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国歌

 様々な意見がおありだろうけれど、私は残念ながら「君が代」という歌が嫌い。何しろメロディーが暗い。歌い出しのあの低い音の二小節が終わってうらで小さなロールが入っている。(ア、小太鼓の話)。それが結構長くて、ブラス・バンドの小太鼓担当は気を遣う。そして大太鼓担当は胆力を試される。そして唄のメロディーから云うと終わりがまたレまで降りて終わる。最後は唄いあげた方が格段に格好良い。フランスのLa Marseillaiseも、英国のGod Save the Queenも、米国のThe Star-Spangled Bannerにしても唄いあげている。唄いおわってなんとも晴れやかだ。なんでうちの国歌は暗いんだろう。晴れやかにならない。そしてやっぱりあの戦争の手垢が染みついているようだ。旭日旗にしてもそうだ。必ず軍隊は周りの房しか残っていなかった旭日旗を持っていったし、軍艦の後ろには必ず翻っていたし、今でも自衛艦に翻っていると云うことはあれは明確に軍艦だと云うことか。手垢はいくら洗っても、法律を変えても落ちないような気がする。
 本当は戦争が終わって憲法が変わって民主化されたときに国旗も国歌も変えれば良かったのになぁと思う。国歌と云えばかつてギリシアの会社から何度も注文を受けていたこともあって、あそこの国の国歌を何度も演奏したことがあって、あそこの国歌「自由への賛歌(Ύμνος πρός την Ελευθερίαν)」だけはメロディーをそらんじることができるという特技(日本の人であそこの国歌を知っている人というのはそんなにたくさんいないだろうから)を持っているのだ。
 君が代を嫌いな左翼爺という表現をする人たちがいるんだけれど、そうした思いをこの歌に持っている人がいるのはこの国のそういう過去をもった人たちだけではないと云うことに思いを致す想像力がないっとことか。
 今だからこそあの歌の歌詞における「君」の意味を全国民を意味するんだという解釈をしても良いという雰囲気の中にあるけれど、かつてはそんな解釈する人はどこにもいなかった。それを良いように解釈するのはこの社会の得意なやり方に見える。日本国憲法についてもそういう解釈をいくらでも繰り返す。