ほぼ足りてまだ欲 その先

「ほぼ足りてまだ欲」がはてなダイヤリーの廃止にともないこちらに移りました。

映画

 昨日のことだけれど、今頃になってようやく英国王George-VIの映画「The King's Speech」を観た。封切り時に見ようと思っていたのだけれど、3.11以降映画館に入る勇気がもてず、ずっと敬遠していたのだけれど、辛うじてまだ日比谷シャンテでやっていたので、3.11以降一回も電車に乗っていない連れ合いとふたりで見に行った。はなはだ面白かった。
 この王様の存在というのは私は全然知らなかったくらいだから、この時代の英国についていえば、チャーチルチェンバレンボールドウィンくらいしかわからない。
 現女王の戴冠式に出席するために今上天皇が横浜から出発するのを見送る列に並んでいたのは私がまだ小学校に入る前のことで、あれが1953年(昭和28年)3月30日。横浜港から乗ったのはAmerican President Lineの「プレジデント・ウィルソン」だった。
 つまり、ジョージ6世はその前に亡くなっていたということだ。この映画ではそのことには触れられていないけれど、それは1952年2月6日未明のことで、死因は冠状動脈血栓症。わずか56歳という若さでの他界だそうだ。
 幼い頃から吃音者だったジョージ6世に自信を取り戻らせて、ドイツとの戦争にあたっての演説を成功させたのは豪州、アデライデ出身の言語療法士、Lionel George Logueである。この映画はジョージ6世とライオネル・ローグとの協同作業の物語だった。
 ローグは実在の人物で、この映画のエンド・ロールには協力者としてローグ家の名前がクレジットされていたが、この映画の原作とでもいわれる本「The King's Speech: How One Man Saved the British Monarchy」をPeter Conradiとともに書いたMark Logueはライオネルの孫に当たる。残念ながらこの本の邦訳は出ていないらしい。
 この映画では後に「善良王」と戦時下の国民から愛されたといわれるジョージ6世の雰囲気が感じられるといって良いのではないだろうか。先だっての「Queen」にしてもそうだけれど、英国王室はこうした描かれ方に対して、なるほどオープンに描かれているから、より国民は近くに感じるのかも知れない。この映画がアカデミー賞でも高い評価を得たという理由のひとつには、米国民にとって英国王室は他国のことであり、英国王室自体が様々なスキャンダルにまみれているとはいえ、はなはだ羨ましい存在であることは今になっても変わらないということの証しのようなものでもあるだろう。
 日本の皇室は今、全員の力によって東日本震災による被災者の慰問にあたっていて、こういう時の皇室には力がまだまだあるんだなぁという印象だけれども、まさかこんな具合に映画に描かれるということはないだろう。嵐寛寿郎明治天皇以来、観たことがない。
 さて、英国王室には全く関係のない話になるのだけれど、ジョージ6世夫人のエリザベスが夫の吃音に悩んでとうとう捜してローグのクリニックに偽名を使ってやってきた時、彼のオフィスの壁にはSydneyのハーバーブリッジの絵だったか、写真だったかが飾ってあった。映画の中ではこれは1934年のことだとされている。あの橋が完成したのは1932年のことで、つまり竣工してまだ2年のローグにとっては母国が誇る巨大橋梁であるから誇らしげに飾ってあったのかも知れないけれど、当時の英国王室の王子夫人としてはなんともおかしいところにやってきたというイメージであったのだろうか。ただし、実際にローグとジョージ6世が出逢ったのはもっと前のことであるらしい。
 Wikipediaによると、Logueは家族全員で1924年にEnglandに休暇を過ごしにやってきて、スピーチ法を学校で教えることになる。オフィスを開いたのは1926年のことだという。
 Mark LogueのBBCによるインタビューはこちら
 映画のクライマックスである、戦争にあたってのGeorge VIのラジオでのスピーチはこちらBBC ARCHIVEで実際に聴くことができる。なんだかんだいってもこういうものがキチンと保存されていて、こうして公開されていることに羨望の気持ちを隠しえない。なぜわれわれにはこういう神経を使うことのできる公僕が育たなかったのだろうか。