ほぼ足りてまだ欲 その先

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紳助引退

 触れるのはやめようと思っていたけれど、ちょっと考えたので、書く。
 私は紳助の「俺は重鎮だ」顔や態度が大嫌いで、テレビに彼が映ると鑑定団以外は見なかった。だから昨日の記者会見も見ていない。だから真相を知らない。しかし、暴力団と関係したことがあるから、携帯でメールのやりとりもしているから、引退するという行動には納得ができない。
 松本人志もあんまり好きではないが、彼がかつてラジオで、「まともな社会に生きることができなかったのんがようやく生きる道を見付けてんやから、やいのやいのいわんといてぇ」といっていたのを思い出す。確かに芸能界、特にお笑い系のタレントには、若い時に近所では札付きだったという人には全く困らない。むしろそれを売り物にしているタレントだっている。
 かつては「興業」で生きてきた演歌の世界の人たち、大衆演劇の世界の人たちは地元の興行師に呼んで貰ってなんぼだったから、そういう世界の人たちとはどうしても縁ができてしまった。そうでないと活動の場面が作れなかった。
 今の様に、あちこちにライブハウスがあって、本当に健全な一般の人たちだけの世界で人集めができることを考えると嘘の様だ。
 しかし、今では暴力団という反社会的なグループはもっと全国的な組織になっていて、階層化が進んでいる。それでも地元では肩を怒らせて歩き、群れて真っ黒な状態でいられるとそれだけで住民はびびる。終いには対立抗争でその辺でもピストルをぶっ放す。ほとほと嫌な思いをする人たちが今でもいることは事実だ。その存在自体に目をつぶっていてもひょっとしたら何かをやられてしまう可能性だってある。だから、風呂屋の入り口に「刺青のある人のご利用はお断り」と書かれている。茂木健一郎学者様はそれだけでもう既に社会的差別であるとしている様だけれど、多分彼はそんな地元の悩みを知らない。
 島田紳助がこれだけ儲かる商売を棒に振るということは、もうこれ以上の収入を必要としていないのか、もうのっぴきならない状況に陥っているのか、どこかの組織との間に作られた合意によって辞めざるを得ないのか、いずれかだろう。ただ単に、反社会的な組織と親密でいることは芸能界にいることが許されないということで辞めるのだとしたら、辞めなくてはならない藝人は、吉本の中には他にもいるだろうし、意味が良くわからない。
 テレビは案の定、民放を上げて紳助報道になってしまって、1ミリシーベルトに戻した話なんて誰も触れていない。