ほぼ足りてまだ欲 その先

「ほぼ足りてまだ欲」がはてなダイヤリーの廃止にともないこちらに移りました。

総背番号制

 「マイナンバー」だかなんだかというちゃらちゃらした名前を使うのはやめろといいたい。これを制定したら、各人に固有の番号が振られてその番号なしには何もできない、ということになりそうだと思うのがまぁ普通だろう。どこかで働くにしてもこの番号がなくては就職もできないし、アルバイトもできないということになりそうだ。そうでないと所得の捕捉ができなくて、正当で平等な課税ができないということになるからだ。この制度を導入するメリットというのは取りこぼしのない税制であるはずだから、金の動きには必ず必要となるということでないと、導入する意味が全くない。
 ところが、午前中の国会中継を聞いていたら、古川元久安住淳の答弁が誠に中途半端だ。質問者がICチップのついたこのナンバー・カードがなくては銀行口座は開くことができないのか、というのに対して、番号は全員に振られるけれど、このカードを持ち続けるか持たないかは本人の選択で、別段カードを所持する、しないは別問題だという言い方をする。それだったらこんなカードは住宅基本台帳番号の話と同じで、何ら制度化する意味がない。
 国民総背番号制度を制度化したら、国民一人一人の収入はすべて捕捉できることになって、確実に税収入はあがる。まず持って平等な収税制度になることはこれは間違いがない。この点では本来的にこうでなくてはならない。
 しかし、同時に国民一人一人が何をしているのか、どこにどれほどの財産を持っているのか、どこで何をしているのかまで捕捉しようとしたらできるわけで、ここがプライバシーを侵害することになると恐れる反対意見が出る肝心なところだ。かつての隣組組織がほぼこれに近い管理を実現していたといえないこともないけれど、100%明白になってしまったかといったらそこには曖昧な部分が多少なりとも残されていた。なにもかも、国家に情報を握られているということの怖さは確かにある。
 しかし、映画やドラマにみるまでもなく、偽って税額をごまかしたり、うまいこと網の目をくぐってできるだけ国家に税を納入せずにやり過ごしてきている人たちの数はこれはもう想像を遙かに超えているといっても間違いはないだろう。それを考えるとどこまで人間の性善説で国家が運営していけるのか、あるいは性悪説に基づく国家は成り立ち得るのか。
 米国にはsocial security cardというものが存在していてカードを持っている。豪州ではtax file numberというものがあって働くときにはこれがないと何もできない。