ごく久しぶりに保阪正康の話を聞きに行った。今回は最初の会に出席しただけで、2回目と3回目を欠席してしまった。いつもの一番前の席に若い人が座っていたので、少し外れた二番目の列に座った。右端の二列目にいつも座っていたブルーのポロシャツの女性がいない。若い人が目立つようになってきた。それまで明らかに若いと思われる人は一人だけだったのだけれど、今日気がつくと男性も女性も何人かいる。彼らは一体何だろうか。平日の午前中に保阪の話を聞きに来る若い人は一体何をしている人だろうか。
保阪が昭和6年から20年までの14年間(第一期)と昭和35年から48年の(正確にいうと13年間)(第二期)を対比させて語っていて興味深い。彼がAndrew Gordonの「日本の200年」をかなり高く評価している。そういえばこの本を読み通した記憶がない。つまみ食いだけだった。ちゃんと読もうか。
第一期の「天皇万歳」は軍官僚が作り出した壮大な虚構空間だったとして考えるべきではないか、そしてその官僚が同じように作り出したものが第二期の同じような虚構空間ではなかったかという。
私はこの「虚構空間」が今もまたまさにそのように繰り返されようとしているのだと思う。近江絹糸事件は第二期にも大いに繰り返されていたのであっただろうし、今もまたまさに外国人労働者を巻き込みながら繰り返されているということではないのか。ひょっとすると日本人を含む東アジア人の心の中には「脇目も降らず猪突猛進」を潔しとするろくに考えないがむしゃらを評価する性癖が巣くっているのではないのか。それはアジアの西にも波及している。
「録音はご遠慮ください」という貼り紙があるにも拘わらず、隣にいた若者がスマフォを取り出して録音しているのが気に入らない。