ほぼ足りてまだ欲 その先

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木戸幸一 都留重人

 日米交換船で日本に帰ってきた都留は妻の伯父にあたる木戸幸一重光葵に頼み、外務省嘱託として就職したのだそうだ。この部分はウッキベディアに書いてある。
 ここからが14日の保阪の話だが、東条英機が退陣したときにすぐさま木戸幸一東条英機の自宅に赴いたというのである。これは非常に珍しくてあまり知られていないらしい。
 木戸と東條は対立構造の中にあった。だから東條は圧力を掛けて都留重人を退職させていたという。そして陸軍に徴兵されたが、木戸は東條の秘書官であった赤松貞雄に頼み込んで、余人を持って代え難いということにして、3ヶ月で退役ということになって外務省に戻ったとウィッキペディアは続けている。
 保阪の話によると木戸は東條の元にいって都留と自分の息子の二人の徴兵免除は大丈夫だろうね、と確認にいったというのだけれど、多分当時は真っ正直な一般市民は黙って兵隊に行き、そうでない、伝手を持っている人たちはこうしていかなかったのだろうなという推測はできる。なにしろあの白州某もそんな活動をしたという話をどこかで読んだことがある。彼は当時相模原の方に隠遁していて自家菜園の野菜をキーパーソンに届けていたというおまけがついていて、さもありなんと納得してしまうのである。