ほぼ足りてまだ欲 その先

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ペット

 ペットはすべからく飼い主の気持ちを慰めてくれる。慕ってくれる。「おなかが減った、外に行きたい」と訴えて頼ってくれる。自分が頼られる存在であるというのは人間をして頑張る力を与えてくれる。そうか、こいつのためにも頑張ろうという気になる。
 ひとり暮らしの人にとっては生き甲斐といっても良いくらいの効果を現してくれる。しかし、それを失った時の嘆きには大きなものがあることは云うまでもない。ペットロス症候群という言い方があるくらいだ。
 ホームレスの人たちにとっても仲間となり得るのがこうしたペット的小動物であることは良くあることだ。欧州を歩いていると、時々観光地の人が集まるポイントに数匹の犬を連れているホームレスの人を見ることがある。それをお恵みのツールにしている人がいることが多いけれど、犬たちはご主人様のいうことを良く守る。激しく叱られているのを見て恵んだ人がいて、それは違うんじゃないかと思った。主人とペットの関係性はそこでとんでもない方向に働き出していることがあることもあるのだと知る。
 銀座の表通りに週末になると猫を連れてくる人がいる。前にも書いたけれど、その人はほぼホームレス状態ではないかという気がするが、銀座の看板の上に載せたりして人の目に晒し、そこへ通りかかった人たちが「きゃわいぃぃぃ」と云って写真を撮る。
 このときの飼い主の心境、そしてその携帯をかざして写真を撮っている人たちの心を推し量ると、見ていられなくなる。
 自分が連れてきた猫たちが多くの人に取り上げられることによって自分もまた人の視線を集めることができたかのように錯覚する飼い主であり、そんな猫は自分の住んでいる地区にも珍しくなくて、そこではこんな具合に写真を撮ったりしないのに、華やかな場所で同行している友達とはしゃぐ自分が嬉しいという虚構である。
 そんなこととは全く関係がなく、連れ回される猫たちは、あの欧州で見た犬たちと同じようにとらわれの身となっている。