ほぼ足りてまだ欲 その先

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捕虜

 一昨年から先の戦争中に日本軍の捕虜となって辛酸をなめた元豪州兵のみなさんを招聘し、外務大臣が皆さんにお会いして直接お詫びをするというプログラムが続いている。その度に一行と一般市民の交流集会というものがもたれている。実際には一般的な市民の関心を呼ぶことがなかなかないために、「戦中捕虜を考える」研究集団や関連学会所属の人たちが集まって当時の体験談を聞かせて戴く。
 しかし、ご本人たちはもう既に90歳前後に到達してしまっているのでなかなか微に入り細に入りお伺いできるような時間が取れるわけもない。だから、皆さんが準備されてきたペーパーをご披露くださるだけになってしまうのが現実だ。
 出来ることであるならば、このような話をきちんと残しておくことが出来ていれば良かったのだけれど、そんな頃にはこんな具合に交流することなぞ出来なかった。それはなぜかといったらご本人たちにとってはある種トラウマとなった体験ばかりだからに相違ない。この時期になってもなかなか踏ん切りがつかない人たちはたくさんおられる。その証拠に今回で掛けてくるに際して友人たちからは「なんであんな目にあわせた国を訪ねる必要があるんだ!」と反対されたという人がいるのは当然のことだろう。
 なにしろ当時のことを想像すると容易にわかるのは、当時の日本軍の将兵たちが捕虜を大変にバカにしていただろうし、それはまさに劣等感の裏返しだから、徹底的に痛めつけただろうということだ。そんなことを創造できるのはこの私にもそんな要素が潜んでいるということなのかも知れないけれど。
 「昔はとても憎んだけれど、今はもうそんなことをしてもなんのプラスにもならないと言うことに気がついた。それからはいやな思い出の残るシンガポールに何回も行くようになった」といっていた94歳の老人は、戦後結婚した奥さんの話によると、少なからず夜夢の中でうなされていたことがあったと証言する。
 一方、泰緬鉄道での強制労働に従事させられ、60km離れた現場で同じように強制労働させられた兄が死んだという90歳の男性は、「私は全く許すことは出来ない。医療も食糧も払底し、劣悪な環境の中に暮らし、私の人生のほとんどをめちゃくちゃにした日本軍の行為を未だに憎んでいる。こうしてこの国に来ることになるとは思ってもいなかった。実際に何があったかを知って欲しい」という。
 捕虜となっていたのは兵隊たちだけではない。日本が侵略した地域にいた子どもたちでやはり収容させられていた人たちもいた。彼らも様々な経験を持っている。非常に傲慢な態度をあの時期の日本人は振り回していた。いまでも日本人の心の中にその火種は残っている。
 非常に印象的だったのは「自分が国籍を持っている一つの国家という単位で人生を考えるのではなくて”世界“を単位として人生を考えるという視点が必要だ」という発言だった。
 この種の話題を出すと必ず「自虐史観的考え」だというステレオタイプな反応が返ってくる。それこそが乱暴な話で、私たちの中にはこうした乱暴狼藉を働いてそれに「快哉」を叫んでいたという実績があるということに思いをいたさないのは実に愚かだということだ。
 「慰安婦」問題についてもそれは明らかで、「強制」という言葉の定義に終始して本質を見誤るのではなくて、私たちは近隣諸国に暮らす他の国々の人を心の片隅で見下してきたことを認めなくてはならない。
 「戦争」だったのだから仕方がないという評価は許されない。内地の人間も困っていたし、外地にいる日本軍将兵たちも苦しんでいたんだから、捕虜が苦しんでいたのは当たり前だという気持ちで見てきたのではないだろうか。
 今月半ばには米国人の元捕虜の話を聞く会がもたれるそうだ。