ほぼ足りてまだ欲 その先

「ほぼ足りてまだ欲」がはてなダイヤリーの廃止にともないこちらに移りました。

gay

 トニー・ベネットの「想い出のサンフランシスコ」という唄がございましょ?あれ、原題を歌詞の通りに「I Left My Heart In San Francisco」といいますね。日本の女性ジャズ歌手の重鎮、後藤芳子さんによれば、この曲はverse(まぁ、前振りとでもいいますかねぇ)から唄わなくちゃ意味がないのよねぇ、なんだそうです。
 というのは歌い出しの「♪あぁい、れぇふ、まぁぃ、はぁ〜っ」の前にこんなのがついているんです。
(ここに掲載していたverseの歌詞はJASRACから著作権侵害だと指摘がありました。こまめに仕事してますねぇ。でも、これじゃ、なんの解説かわからないよね。)
「パリはこうだったし、ローマのこともこうだったニューヨークじゃあぁだったもんだから、サンフランシスコに帰ろう!」といっている訳なんですよ。
 だから、この前振りが重要なんだぜ、というわけです。で、この最初に「gay」が出てくるんです。この「gay」について友人と揉めたことがあります。いくらなんでも性同一障害のゲイじゃないだろうと。じゃ、なんだよ?!と。
 在サンフランシスコのピアニストの伴奏で、これを歌うと、ここで、そのピアニストが私を見て、手を止めて「ゲイ?」って叫ぶというのが、いつものパターンになっています。で、辞書を引くと、こんな項目もあるんでございますよ。

  • ⦅やや古⦆〈人笑いが〉陽気な, 楽しい.
  • ⦅やや古⦆〈色物が〉派手な, 鮮やかな.

 この「やや古」ってのが、どれほど「やや」なのか、というのはありますが、この唄は1954年にできたんだそうですから、もはや60年前でございますな。これが「やや古」だとするとですね、われらもすでに「やや古」な存在っつう事になるわけでございますよ。
 しかし、この意味を当てはめるとですね、パリの愛らしさってものも、なんだかその淋しさが際立つっつうか、楽しさも、うら寂しいんだよねぇ、とでもなりましょうか。
 とまぁ、勝手な解釈でございます。