友人がやっている若い人たちを集めた唄いたい奴が唄う会に出ないかと誘われたので行った。出番は8時だと聞いていたんだけれど、実際には30分以上押した。6時半頃に到着したんだけれど、若い女性が若いピアノとデュオ、とか若い女性の弾き語りとおじさんの手練れのアコースティックギターとのデュオだったりして、なんだか不思議な空間だった。どういうことかと思ったら、音楽の専門学校の人たちだったらしい。今はこの種の専門学校がかなりの数に上り、自作を演奏し、唄う。しかし、ここに出てくる若者たちは概ねバンドを構成していない。大体弾き語りか伴奏が一人だ。おじさんの手練れのアコースティックギタープレイヤーは、その若者たちの先生らしい。道理で上手いわけだ。
ところがその会場から、かなりのお歳の男女が出てくる。私よりも歳上だ。一体何事かと思ったら、良くこの会の浅い時間に出てきて自作の演歌をお歌いになる男性がでていたのだった。そのご一行様がお出になると会場には代わりに若い人たちばかりになっていた。
しかし、今の若者が作る歌はどれもこれも、ほとんど例外なく、長い。イントロも長いし、ワンコーラスも長いし、その繰り返しも何度もある。そして見事にエンディングも長い。昔のような音源に制限がなくなったことを絵に描いたように説明してくれる。
おじさん、おばさんが昔懐かしい曲をやってくれる頃にはもうほとんど若者もいなくて、がらんとした仲間内の宴会と化していたけれど、その分楽しく唄い、遊んだ。久しぶりの懐メロ宴会だった。うちの前期高齢者バンド(6名のうち4名がそれ)も楽しくやらせて貰った。
うちの親父たちの宴会は座敷に車座になって呑み且つ皿を叩いて手拍子で唄っていた。それがちょっと洒落た舞台装置になったわけだ。
また、痛飲。