何かというと癒やされたくて、和みたいのが近頃の(いわゆる)ブームなのかと思っていたんだけれど、その一方に悪ぶりたいという思いも蔓延してきているような気がするんだね。悪ぶりたい、という言葉ではちゃんと表現できていないかも知れないんだけれど、彼らは時として「現実的」という言葉を弄したりしているけれど、それが「現実的」な表現なのかといったら、かなり私には違和感がある。
どちらかといったら、他に気を配るということが「偽善」であるという、むしろ「偽悪」な姿勢から出てくるんじゃないかという気がする。
「俺だって、こんな状態なのに、なんで他の人に気を遣わなくちゃならないんだ!という居直りといっても良いのかなぁ。それがしいては国粋主義に走り、人種差別的な思想に走ってしまうと云うことなのではないのか。