隣に座っていた楚々とした老婦人をちらっと盗み見たら、手首にとってもわかりやすいディスプレイの腕時計をされていた。そうではないけれど、あのスイスのMONDAINEに近い感じのもので、文字盤が真っ白。針は三針で黒。文字はなく記号だけ。MONDAINEを好きだから(持ってはいないけれど)とても良い感じの時計だった。よっぽど「それって、どこの時計ですか?」とおたずねしたいなぁという誘惑に駆られたんだけれど、(な、なんだよ、このくそ爺ッ!)と怖がられるのもイヤだし、聞いてみたら、ただのswatchだったら、こっちもがっかりしちゃうし、向こうもいいたくないかもしれないしなぁ、と。
ひょっとするとその時計は半年前に亡くなったご主人の形見だったりして、そこから話がどんどん広がっちゃって、電車の中でこの方がさめざめと泣き出して、そのままにして降りるわけには行かなくなっちゃって、終点までいって、結局亡くなったご主人の話を喫茶店でずっと聞いちゃうわけですよ。
いやいや、その前に、さっきいったように、なんだよ、このスケベ爺は!という顔をしてすぐに席を立って、眉根を寄せて、ツカッツカッと隣の車両に逃げられたら格好悪いだろうなぁとかね。それも運の悪いことに同じ集合住宅に住む女性にそれを見られていて、偶然遭遇する度に(アラ、あの爺さんだわ!いやねぇ、あんな爺が同じ建物に暮らしているなんて!)という眼で見られちゃうわけだね。
意外と「アラまぁ、ふぉふぉふぉ、安物でございますのよ」とはぐらかされて終わるんだろうか。
それでも一応「あのぉ、ちょっと失礼なことをお伺いするんですが・・」とか、なんといったら良いのか、頭の中で言葉を巡らしたりしたのである。