ほぼ足りてまだ欲 その先

「ほぼ足りてまだ欲」がはてなダイヤリーの廃止にともないこちらに移りました。

終日眠い

 夜中に目が覚めてしまったからか、二度寝しても睡眠がたりいらしくて、終日眠気に悩まされていたような気がする。twitterで絡んできたやつがいなくなったと思ったら、facebookに表れてきた。ネトウヨで、私の書き込みにくっついてきた。そうすると自分のフィールドに引きずり込むことができるものだから、言いたい放題。
 午前中は新宿で保阪正康のレクチャー。天皇制についての彼のポジションは大変に深いものがあって、今の天皇生前退位をあたかも天皇システム論で論じているかのような、今度のいわゆる有識者会議の議論とは全くスタンスの異なるものである。
 途中から空調が暑いような気がして、とうとうカーディガンを脱ぐ。
 昼飯をどうしようかと悩みながらBook1stを巡り、キッシンジャーの翻訳本を見たけれど、あまりの高価に手が出なかった。そういえばエベレストの「沈黙の山嶺 第一次世界大戦とマロリーのエヴェレスト」の上下本も読みたいのだけれど、上下二冊で7千円を超えるので、とても手が出ない。そういえば「戦地の図書館 (海を越えた一億四千万冊)」も逡巡している。そうこうしているうちにそのうち入手できなくなってしまうのだろうか。
 そうだ!と思い立って、紀伊國屋の地下にあるうどん屋、「水山」へ行く。かつては保阪の帰り道に必ずここまで来て食べたものだった。今ではずいぶんメニューも増えていて、なんと蕎麦まで出している。私は「黒酢あんかけうどん」850円也。安くはない。それでも後から来るお客の注文を聞いていると、このうどんを注文するのはなぜか爺さん。なんだか酸辣湯のうどんのようにうまい。
 元の三越の8階にある山道具の石井に上がって、靴のひもを締めるためのコードストッパーを買う。上がり降りするのに時間がかかる。
 このビルの中で大手を振っている人たちはやっぱり外国人観光客の皆さん。マナーが悪かろうと何だろうと、買っていってくれるんだから文句を言っちゃいけない。日本人だって、かつてはパリやニューヨークで札束でほっぺたひっぱたくようにして買い物したじゃないか!といったら、それをやったのは爺さんたちの世代で、私たちではないと若い人にいわれて、二の句が継げなかった。
 いや、私がいいたいのはそういうことじゃない、日本人だってそういう人たちがいたおかげでそれじゃいけないってことに気がつくような時代になったってことなんだ、といいたいんだけれど、そんなことを生まれたときからそうだった人たちにわかるわけがない。だから歴史を知るというのはそういうことなんだけれど、それを理解するのはなかなか難しい。だって、首相を初めとした政治家諸兄にそんなことを無視して、日本人はすごい!病に罹っている連中ばかりなんだからしょうがない。
 眠気がとれていなくてさんざん逡巡したのだけれど、飯倉で行われていた元日本軍捕虜だった豪州人の方たちの話を聞く会が開かれていたので、丸ノ内線日比谷線を乗り継いでいく。もくろみよりも時間がかかってしまって、到着したら5人の方たちのうちの二人の話は終わっていた。今回が外務省が招聘したプロジェクトの最終回だったそうで、ご本人がお見えになったのはお一人だけで、後は奥様たちにお嬢さんやお孫さんがついてこられていた。これまでと異なるのはキャンベラのWar Momorialの研究員の方がついてこられていたことだ。夕方から、彼との懇談が組まれていたけれど、どうしても気力がついていかず、辞去した。
 質問が募られたのだけれど、元捕虜だった方、あるいはそのパートナーの方にするべきではない、ふさわしくない質問を出される方が多く、却下されていたのが気になる。この場をどう捉えているのか、はなはだ疑問。彼ら日本軍の捕虜になった人たちがあまりにも悲惨な目に遭っていることを日本人は全く興味を示さずに放置されていたことにも驚くが、今回も話に出たように、いったいなにがきっかけで旧日本軍はこれほどの残虐性を呈する結果となったのか、考える必要がある。
 保土ケ谷にある英国連邦軍捕虜の墓と同じように、豪州ニュー・サウス・ウェールズ州カウラには暴動を起こして死んだ日本人捕虜たちの墓がある。タスマニアには航海中に死んだ日本海軍の兵の墓があったりする。第一次世界大戦時のドイツ軍捕虜に対する収容所の日本の扱いのフェアネス等を考えると、なぜそれがあたかもナチスのジューイッシュを収容した強制収容所のごとき呈をなしたのか。日本ではシベリア抑留の悲劇について知らない人は少ないだろうが、日本軍による泰麺鉄道やバターン死の行進等戦時捕虜の悲惨さについてはもはや知る人も少なくなってきた。もちろん「POW」という言葉そのものについても知っている人は少なくなっていることだろう。