1930年代から戦争が終わるまでの間、文化的なクリエーターはことごとく圧迫された。それは少なくとも国民に影響を与えるだろうという憶測から軍人たちが彼らを脅かし続けた。画家は画材の入手制限に怯え、小説家は出版機会の喪失に怯え、歌手は出演機会や音盤製作機会の喪失に怯え、映画作家も作品の製作機会の喪失に怯え、戦争遂行に資する作品の制作に加わった。自分の技術的個性を主張しながらも、軍人たちの脅しにしたがって国民に影響を与えるに至った。本当はそんな気はなかった、と表明しても、結果的に国民を鼓舞するに充分な役割を果たした。意に染まろうと染まるまいと、実際にやったことは変化しない。そして、それは浄化されるべきではないと私は考える。
忘れられないのは「百人斬り」だ。東京日日新聞の記者が南京進軍途上のふたりの陸軍少尉が敵百人を自らの刀で切り捨てるのを競い合ったという、いわゆるキャンペーン記事だ。「両少尉更に延長戦」なんてその行為を煽ってきた。そして二人もまんざらでもないというよりも得意げに写真を撮らせた。本当に百人も斬ったのか、その真偽の程はわからないが、これが当時の戦意高揚記事のひとつであったことは否めない。
ところが戦後、戦犯として「中華民国によって1948年1月28日に南京郊外(雨花台)で処刑(ウィッキペディアより)」された。
しかし、戦後、この「百人斬り」はでっち上げであって、これを戦後報じたものを対象に名誉回復の訴えが稲田朋美を弁護士にして起こされた。つまり、こんなことが出来るわけがないのであって、新聞のでっち上げであり、それを追いかけて書いた連中がいけないのだという主張。しかし、これは敗訴する。何しろふたりの少尉は自らの出身校にまで出かけていって、ご自慢の「百人斬り」を語ってしまっていたのだった。新聞は戦争で部数を伸ばした。そういう時代だった。
NHKがドキュメント関連局を解体すると発表した。つまりEテレやBSで放送される安倍晋三政権にとって厄介な番組の制作部門をなくしてしまうということである。NHKの職員72名が反対を表明しているそうだけれど、慰安婦問題の番組に圧力をかけたといわれている安倍晋三の政権なのだから、平気でこうした弾圧に踏み切る。なにしろあの創作的”歴史本”を書いた百田尚樹を経営委員に送り込んだくらいだから、こうした部局を今まで良く残していたというくらいだけれど、これでNHKは晴れて中国の中央電視台やロシアの国営テレビと同様なスタンスに立つことが出来た。さぞかし安倍晋三は喜んでいることだろう。
「背に腹は代えられぬ」と彼らは呟くのだろうか。