ある人から、保谷の駅近くはかつて大きなお屋敷の土地だったのだけれど、最後の拠点が残されていると、FBで教えて貰った。朝起きると案の定、曇り空で、これなら暑くないかも知れないと、出かけた。山手線に乗ってみると、なんちゅうことか、朝8時半だというのに、ガラガラ。今朝京葉線に乗った友人がいつもの半分以下だと書いていたけれど、それ以下だ、つうか、最近こんな時間の山手線に乗ったことがないけれど。
池袋から西武池袋線に乗るのはわかっていたが、いやはや、かつてに比べたら、有楽町線は乗り入れているは、副都心線てのにも繋がっているは、でこれは外国人観光客どころか、その辺の日本人にも良く理解ができない。だいたい副都心線なんて、ほとんど乗ったことないもんなぁ。
黙って各駅停車に乗ったんだけれど、これはまたあっちこっちでいろんな電車に追い越されて行くみたいだった。「練馬」で準急ってのが向かいにいたから、こっちへ乗った。これまで乗っていた各駅停車は西武球場行きだったらしいが、どこをどう通って西武球場へ行くのか想像もつかない。石神井公園にはかつて職場の同僚が住んでいるはずで、当時彼の家にいったことがあった。その頃は普通日常を電車が走っていて、踏切がなかなか開かずに往生していたらしい。今では高架になっていて、石神井公園の駅からあたりを睥睨してみても、全然当時を想い出すことができかねる。
保谷の駅は生まれて初めて降りた。北口に降りろといわれていた。高架の改札だけれど、この雰囲気がいかにも私鉄沿線で、北側に降りたところは小さなロータリーになっている。この雰囲気が既にかなり郊外の私鉄の駅という気がするが、これで池袋からは電車で20分もかからないのだから不思議な気がする。駅のすぐ傍に畑があって、ネギが植わっているのが、まるで東上線の志木のようだなぁと思ったら、あっちも池袋から20分くらい。
すぐに、こんもりした緑があって、あれ?と思ったら「あらやしき公園」と書いてある。ここもお屋敷の一部だったそうで、今ではしたが自転車置き場になっている。ということはこの周囲は全てそのお屋敷の一部だったということのようだ。どれほどの敷地だったのだろう。そういえばかつて職場で一緒だった男が多摩の方の某駅傍の農家に婿に言ったそうだが、そのうちもかつては自分の家から駅まで自宅の敷地を通っていけた、といっていたから、古くからの大家だったのだろう。
このまん丸に作られた公園はいったいどのように使われているのか、大変興味があったけれど、小糠雨が降る中、当然誰もいない。端にあづまやのような屋根のある部分があって、そこに長い髪をした若い男が傍らに荷物を広げていて、自分はしきりに弁当箱を抱えて箸を使っていた。ただならぬ雰囲気なんだけれど、ひょっとしたらここで一夜を明かしたのかも知れない。
こんもりしたお屋敷の方へ降りていくと、森の中から歌声が聞こえる。🎶おおきなぁうただよぉという「おおきなうた」ってやつだ。まるでカブスカウトでもいるのかと思ったけれど、女性の声ばかり。なんだろうとそのお屋敷の正面に廻ってみると、入り口が開いていて、自転車が何台もおいてある。中を窺っていると、次から次にお婆さんが出てくる。その中のひとりに「中に入れるんですか?」と伺うと、驚くようなアニメ風の喋りで「金曜日のね、午前中には入れるのよ」と仰る。じゃ、あなたはなんで入っているの?と聞きたかったが、あとが大変そうだからやめた。入り口からすぐのところに土蔵のような建物が見える。多分豪農とか、庄屋とかだったのだろうから、今みたいな門があったのではなくて、開放された庭に土蔵が建っていたのではないだろうか。
ぐるっと巡ってみると、いかにも鬱蒼としている。木々も背がとても高い。検索してみるとこんなことが書かれている。
高橋家はかつて、有力農家の一つで組頭くみがしらを務めており、当主 は屋号と同じ「お頭かしら」と呼ばれてきた。
お頭様なのだ。西東京市が2012年から5年をかけて買収し、2017年に西東京市の所有になったそうだ。「旧高橋家屋敷林」で検索すると良い。ただし、朝霞の高橋家と間違いませぬように。
入れないんじゃしょうがないから、ぐるっと廻りを巡って、帰る。保谷の駅から電車に乗って池袋に向かうと、練馬駅で「大江戸線乗り換え」と書いてある。おっ!そりゃ良いやと降りる。こんなところで大江戸線に乗れるとは想像すらしなかった。都庁前で向かいの電車に乗り換え、上野御徒町から今度はバスで帰宅。ちょっとした遠足だったけれど、たった6,000歩しか歩いていない。